K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

声優を好きになるということ

話題の神絵師のペンの持ち方とやらで試しに描いてみたら、案外いけるやん! となった。
今までの持ち方って親指の付け根がペンに圧迫されて、長時間描いていると神経が麻痺して感覚なくなっちゃってたから、間に人差し指を挟むことで負担を軽減できてよい。手首の動きも安定するし、今後はこれでいきたい。

字を書くときは、絵とはまた違う持ち方なんだけど、これまた力を入れすぎてしまって長く書いていると手が痛くなることが多い。絵とは違って、ちょっと変えると字が安定しなくなるから、こちらは矯正できそうにないのが残念なところ。
まあ最近は紙に字を書くことなんてほとんどないし、最も手を酷使していたのは受験生の頃で、似たような機会は今後なさそうだから直す必要性もないか。

 

なお、あまりにも生活リズムが崩れて体力的に参ってしまったため、本日はここに上げる用の絵が間に合わなかった。
ずっと家にいると体力が落ちてしまってよくないね。逆に言えば引きこもるデメリットってそれくらいのもので、総合的に見れば圧倒的にメリットのほうが多いわけだから、たまに具合を悪くするくらい、甘受しようではないか。

 

 

声優を意識したのがいつのことだったか、今となっては記憶が定かではないが、おそらくアニメを見て、面白さのあまり興奮したか、あるいは強く感動したタイミングだったように思う。
具体的には、CLANNADハルヒ……だったような気がするが、けいおん!の放送開始時点では既にチェックをしていたことは覚えている。
意識したと言っても、声の特徴や演技が少し気に入って、とりあえず名前を覚えておこうとか、別作品に出演していたらその担当キャラを好きになるかもしれないな、という程度のもの。基本的に、そのスタンスは今でも変わらない。

アニメを見る習慣を長い間継続していると、よく出演している人の声はだいたい覚えてしまうし、脳内で好きなセリフを言わせることだって余裕でできるようになる。これを私は、声の芯を捉える、という風に考えている。
演技というからには多かれ少なかれ声を作っているわけで、声優によっては、キャラクターによってまるで声が違っていて聞き分けることが困難という人がいる。EDのクレジットを見て、ああこの人だったのか、と納得した回数は数えきれないくらいあるし、毎クールの新作第一話を見ながら声優当てゲームを勝手に開催することも、しばしばある。
声の芯を捉えると、一言聞いただけでおおよそ誰かわかるようになる。ダメ絶対音感とも言う。まあ芯と言っても、あくまで演技の声が対象であって、発声方法が異なる地声を覚えているわけではない。*1

 

ただのアニメオタクに、声優オタクとしての属性が加わった生き物が、Twitterには大量に棲息している。私も知識だけは無駄についてしまったので、見方によってはそう分類されてしまうだろう。

ただ、この声優が好きだ、と言ったときには、その発信者によって複数の捉え方があるように思う。とりあえず私が思う3パターンを挙げてみる。

  1. 単純に声や演技や歌が好きみたいな、商品として出てくる部分に対する好意
  2. 仕事への向き合い方や人柄など、内面に踏み込んだ好意
  3. 人間そのものへの好意

私は、基本的に①でしか考えていない。声が好きなのであって、性格とか別にどうでもいいのだ。
オタクがよく使う「推し」という言葉は、だから流行った当初は壮絶な違和感を覚えていた。私は声優という一人の人間自体には、あまり興味がないのだ。「推しは誰?」と聞かれても、そんなことおこがましくて答えられない。いったい私はその声優の何を知っているんだ、と。声優そのものは、私にとって消費対象ではない。
もし私がその言葉を使うとしたら、「推しは○○」ではなくて、「推しは○○の声」ということになる。

②については、しかしながら最近理解ができるようになってきた。ラジオを聴いたり、ライブに参加したりすると、その声優の中身に近い部分が流れ込んでくる。演技ではなくて、今度は声優自身だ。
しかしそれは声優が発信する場、すなわち枠組みへの好意なのではないかと思う。先日の日記に貼ったYouTubeもその一種だろう。プライベートとは区別されているし、それ以上の領域に踏み込むことはないのである。
あえて例の言葉を当てはめるなら、「推しは○○の××」という感じになる。

③が唯一許されるのは、知人や友人といった、人間的に直接のつながりを持っている人だけだろう。②と③の間には明確な境界が存在する。どうあがいたって、立場というか、世界が異なるのだから本来は交わりようがない。
声優と結婚するために業界に入るというのは、因果関係が逆だけれど、方法としては間違っていないんだと思う。それで上手くいくほど甘い業界でもないと思うが。
私はたぶんどうしようもないくらいにオタクなんだけれど、ネット上だけでその境界を破ろうとしている怪物たちのことは別の生物のように恐ろしく感じるし、今後接点が出来たとしても相容れないんだろうなと思っている。
だいたいの人はネタでやっているのだろうし、境界を弁えているならいいんだけど、稀にホンモノが……まあこの話は不毛だからこれくらいで。

 

ちなみに「推し」の解釈については非常に個人的な話なので、それを使っている人を安易に否定する意図はないということだけ、最後に書いておく。

*1:余談だが、ラジオを聴いている声優については地声も記憶しやすく、何人か覚えてしまっている