K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

下手くそ

晦日はバタバタするかもしれないので、ごちゃごちゃした思考をまとめるための日記としては、今日が今年最後になるかもしれない。

あらゆる行動には技術的な側面が存在して、それは日々の営みであっても例外ではない。基本的なことで言えば歩行や会話の能力、一方で専門的なことは仕事になるようなもの。
初めから上手くいくという可能性もないわけではないけれど、多くの場合は失敗を繰り返しながら少しずつ精度を高めていくことになる。

 

人間として生まれたからには、少なからず他の動物に比べて優れた学習能力が備わっているわけで、最初に上手くいかなくても反復練習を重ねれば、たいていは最低限のレベルに到達することができる。
特に日常レベルの行動については、それができなければ社会性を獲得できないとか、健康を保ったまま生きていくことができないとか、そういう環境要因的な事情も絡んでくるから多くの人はプロフェッショナルみたいなもので、「頑張る」とかそういう以前の話として身につけられるものだ。

逆に、必要に迫られない事柄については意識的な修練が要求されることが多い。他者に振る舞うための料理であったり、音楽とか絵の技術とか、あるいは読ませるための文章だったり人を楽しませるための物語創作力だったり、効果的に人間を説得する力や異文化で円滑にコミュニケーションを進めるための語学力なども当てはまる。
生まれ持ったセンスとかいう目に見えない基礎ステータスの影響があるかはさておき、継続的に取り組んでいて上達しないものはない。ただ、伸び代や伸び幅に大きく個人差があるというだけで。

中には、特定の年齢を超えてしまうと永遠に習得の機会を得られないものもある。永遠、というのは言い過ぎかもしれないけれど、成長過程における吸収力に勝るものはなくて、その成長力を利用しなければ仕事として通用する領域に決して届かないような世界がある。
将棋の棋力なんかはその典型で、幼少期からスタートしているか否かで、プロになれる可能性が大きく変わってくるはずだ。ある程度、脳が成長してしまってからでは、特殊な思考回路や感性を獲得することが困難になるのだと思う。他にも、音楽的な能力についても幼少期の経験が大きいと個人的には思っている。
それらとは対照的に、多少は年齢を重ねてからでも問題のない分野だって、たくさんある。そもそも、多くの職業は成人してから数年後に初めて触れるようなものなので、元から持っているセンスよりも着実な知識と経験が重要になる。もちろん、若い時分に始めてしまうのが一番ではあるのだけれど、やってこなかったから手遅れ、なんてことにはならないのだ。
とりあえず初めてみて、よくわからないなりに最後の工程まで進めてみる。結果、経験者のものと比較してなんて駄目なのだろう、下手くそなのだろうと悔しい思いをする。
まさに、人間に与えられた学習能力の発揮しどころ、といった感じだ。

私は、昔から不思議なくらい要領がよかった。たいていの事柄は、周囲の人間の平均を上回る速度でそれなりの成果を出すことができる。
自慢ではないけれど、要領が悪い人間からしたら嫌味に聞こえることだろう。否定はしない。
ただ、一つ言いたいのは、私は熟練者にはなれないということだ。これは、物事の初歩的なコツを掴むのが抜群に上手いというだけの特性であって、その後の成長性にはまったく関係のない話だった。すぐにそれなりの結果が出てしまうから、悔しさのような次に繋がる糧が溜まりにくく熱が冷めやすいし、仮に数年後まで続けたとしてもトップレベルを維持できるというビジョンが浮かばない。そんな気力もまったく湧いてこない。
私にとっては、本格的な技術の獲得というものが、技術的な面だけでなく精神的な面においても非常に困難に感じられるのだ。
中途半端にできるせいでハマることができない。幸か不幸か、それが私という人間に与えられた汎用能力だった。

 

今では、少しその考え方が変わっている。きっかけはとあるゲームだったのだけれど、珍しいことに私はそのゲームにおいて、しばらく遊んだにもかかわらずまったくと言っていいほど上達しなかったのだ。
驚きだった。自分の「適当にやる」が通用しないものがあるなんて。*1
それから私は、そのゲームが上手い人の動画を見たり、失敗した試合の反省点を考えて次に活かそうとしたりした。楽しみながら努力する。その快感を教えてくれたのは、間違いなくそのゲームだったと思う。
徐々に結果が出始めて、成績が上向いているのを実感できるのは本当に充実感のあることで、私が私として満足のいく人生を歩むためには、こういうプロセスが必要なのだと心から思った。

こうして幸せの一つの形を知ってからの私は、初心者として始めてみてすぐにコツが掴めた事柄に関しては、すぐに興味を失うようになった。まるで上手くいかない、上達する姿が想像できない、壁が高すぎる……そうやって、乗り越えなければならない課題に絶望するくらいのほうが、私の心は燃える。人生を捧げるのに、ふさわしいと思えるのだ。
今では、己のすべてをかけてもいい、と思える分野を見つけることができた。

下手くそな自分の姿こそが、あらゆる営みの原点にして最もポテンシャルを秘めた宝物なのだという気づきが、今年一番の収穫だったと言っていい。
はたして来年は飛躍することができるのか、私は私に期待している。

*1:もちろん苦手なものというのは存在したけれど、好きになれないとか興味がないとか言い訳をして、できないから頑張ろう、という風にはならなかった。だから、好きでやっていて、集中して本気になっているのに全然上手くいかない、というものはこれまであまり経験がなかった。