K's Graffiti

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円盤

これほど強烈に私の心を震わせた感動に報いるには、いったい何をしたらいいのか……それはもう、かけられるところにお金をかける以外に方法はない。
アニメという娯楽において、その最もわかりやすい形が「円盤」を購入するということだ。

 

今はAmazonのPrimeVideoをはじめとした配信事業が広く普及している時代なので、特にアニメに関してはリアルタイム視聴のためにテレビ前で待機するとか、あるいは事前に録画予約をするとか、かつて当たり前だった労力をかける必要がなくなってきている。
まぁ録画するかどうかは趣味によって人それぞれといったところだろうが、私はもうアニメ番組を録ることはほとんどなくなった。
毎日、PrimeVideoのページに行って、最新話が更新されていたらそれを見る。アニメに向き合う際の主な動きとしては、ここ数年ずっとそんな感じだ。

昔からアニメを評価する方法の一つとして使われてきた「円盤」の売上枚数という指標は、今では参考程度にしかならない。
わざわざデータが収録されたメディアを買うまでもなく、ただアニメを見るだけなら配信サイトで事が済むわけだから、「円盤」の購入を決めるには以前よりも強いインセンティブが必要になる。
とても面白いアニメなのに、全然売れていない。逆に、面白くないのになぜか売れている。それは今も昔も見られる現象だけれど、配信が盛んになったことで、実態は随分と様変わりしているのではないかと思う。
私は数字や流行よりも中身を重視したい人間なので、十年ほど前には確かに存在していた売上至上主義の風潮には多少なりとも嫌気がさしていたし、極端な言い方をすると「覇権」こそが絶対正義でそれ以外は貶められても仕方ない……というような、作品の本質を見誤りかねない価値観を大勢のユーザーに強いるような業界の空気に(業界というより、それを作り出していたのは数字による「勝ち負け」を強要し無用な争いを煽動する特定のまとめサイトであったかもしれないが)、ただの視聴者である私は心から辟易していた。
だからこそ、売上とは関係のない場所で自分の好きな作品が評価されているのを見つけた時には、とっておきの嬉しさを感じることができたし、そういう素敵な感覚を誰かと共有することが、アニメを追い続ける理由の一つなのだと何度も思ったくらいだ。

そんな私でも「円盤」を買おうと思うことがある。
高校生の頃など、一昔前は資金に乏しく難しかった側面があることは否めないけれど、成人してしばらく経ち、お金に余裕が生まれる年齢になってからは、素晴らしい作品に出会うたびに「円盤」を買うという選択肢が浮かぶようになった。
とはいえ、先にも述べたように見るだけなら配信サイトで十分という時代なので、仮にアニメを見てとても感動することがあったとしても、特典が魅力的であったとしても、全巻購入で数万円は必要な「円盤」に食指が動くのは非常に珍しいことだ。
昨年も、一昨年も、魅力的なアニメはいくつもあったと思っているけれど、「円盤」を購入した作品は一つもない。


話は変わるが、昨晩『ウマ娘』2期の10話を視聴した。普段は放送の翌日午前中には見るようにしているのだけれど、今週は何かとバタバタしていたので遅れてしまった。
Twitterでは長い間トレンドに「ウマ娘10話」が居座っていたのを観測しているので、ここまでの出来の良さもあることだし、まぁそれなりに神回だったのだろうという想像はついていた。
ネタバレを避けつつも、というか大まかな展開は予想できるからネタバレも何もないわけだが、とにかく自分の目で見るまではできるだけ情報に触れないようにしていた。

ウマ娘と言えば、この二週間ほどでトップクラスのコンテンツとして君臨するようになったビッグタイトルだ。
あの人も、この人も、競馬に行って帰ってこない。私もすっかりドハマりしてしまって、既に何度か日記に書いているくらいで、半ば一部における社会現象と化しているこの大きな流れについては、もはや説明など不要だろう。
アプリの出来がいいから、多くの人がウマ娘の世界に参入してくる。そのタイミングで……というより最初からタイミングを合わせたコンテンツ展開というのは明らかではあるが、アニメとゲーム双方がまさに神がかり的な相乗効果を発揮している。これほどの爆発力は、なかなか記憶にないレベルだ。
ゲームが本体でアニメはただの販促用、だからアニメとして無難な出来であり毒にも薬にもならないというのが、この手のアニメの典型的なパターンなのだが、ことウマ娘に関してはまったく当てはまらない。アニメ単体として考えてみても、歴代屈指の名作アニメたちと十分に比較できると思われるくらいに趣があり、視聴者として本気で熱を注ぐに値するだけの魅力に溢れている。

単に事実だけを書くと、10話の後半、エンディングに至るまでの数分間に、私は嗚咽を漏らすほど涙が止まらない状態に陥った。アニメを見て、これほど心が揺れたのはここ数年にはなかったことで、おそらくヴァイオレット・エヴァーガーデンの10話まで遡ることになる。
アニメのシナリオ構成はCygames名義となっているため、1期と違って誰が担当したかわからない形になっている。これがゲームと同じグループなのかは不明だが、それなりに知識と愛を持った人間が集まってエネルギーを注ぐとこうなるのかという、なんというか途轍もないものの結晶を見ている気分になるのだ。
1期とは制作が変わり、脚本の方針も大きく転換した2期のストーリーは、あらためて振り返ってみると隙がほとんどないことがわかる。大まかな流れやこまごまとしたネタは史実に立脚しつつも、変えるところは大胆に変える。結果として、「史実の映像化」にこだわる人間からは不評が出てくることもあるだろうが、アニメという媒体としては大成功と言ってもいいくらい完成度が高いものとなっている。
また、アニメは同時期に放送されている他の作品と比較することも多いけれど、個人的には「唯一抜きん出て並ぶ者なし」 と言いたい。

いくら言葉を尽くしても、この感覚を伝えることは不可能に近い。というのも、これは心の問題であって論理ではないからだ。生命の根っこの部分に対する訴求力と言ってもいい。
ただ、素晴らしいものを見せてもらって、人生を豊かにしてもらって、何か返せるものはないかと考えるのは人情だろうと思うのだ。
言葉よりも行動のほうがいい。思ったら動くまでは素早いもので、まったく躊躇うことなく2期をBDを全巻予約した。
テレビシリーズの「円盤」としては『SHIROBAKO』以来の購入となる。
ウマ娘』は間違いなく、私にとって忘れられない作品の一つとして記憶に刻まれることになるだろう。


それにしても、わりとどうかしていると思う。具体的に何が、とは言えないのがもどかしいのだけれど、明らかにウマ娘に対する想いは、他のあらゆるコンテンツとは階層が異なるのだ。
アニメに対しても、ゲームに対しても、単なる娯楽以上の何か……まるで魂の領域で幸せを享受しているかのような、未知の感覚がある。心の向き合い方が、有象無象の娯楽作品に対するものとは明確に違うせいか、存分に楽しみつつも戸惑いが物凄い。
実際の競走馬とそのエピソードをモデルにしているからとか、あるいは多くの関係者の熱意の賜物であるとか、理由付けはいくらでもできるけれど、もうダメだ。言葉にならない。

今はコンテンツとして最も盛り上がっている段階だと思われるから、自然な流れとして、そのうち次第に熱は引いていくだろう。
けれど、これだけのインパクトを轟かせているのだから、ちょっとやそっとで消えゆく、ということにはならないはずだ。
半年後、一年後、二年後、さらに数年後に至るまで、どのような成長を果たすのか今は想像もつかない。けれど私個人の望みとしては、いつまでも人生の傍らにあっていいと思うし、日々の活力をもらうことができたらこの上ない幸いだと思う。