K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

忘却の自覚

私の密かな自慢は、記憶力がいいことだった。
少なくとも高校生くらいまではその能力が顕著で、たとえばクラス替えがあって周囲が知らない人ばかりになっても、初日のうちに過半数の名前は覚えてしまうような人間だった。
そもそも友人を作るのが苦手なので、その記憶力が役に立つ機会はほとんどなかったのだけれど……しかし、あれはなんだったっけ、となってから即座に情報が取り出せる頭は、非常に便利なものだったと思う。

 

最近よく感じるようになったのは、その取り出す作業がスムーズにいかないということだ。あの人の名前が出てこない。顔は思い浮かぶのに、いったいどうして。
これまでに経験したことのないような記憶力の不具合が、このところ頻繁に発生している。

大きな傾向としては、おおよそ過去一年よりも前の出来事について、それが新しければ新しいほど情報の質が落ちていることが挙げられる。要するに、直近の記憶は比較的鮮明ではあるけれど、一定の期間を置くときれいに整理されてしまうことが多いのだ。
高齢者によくある話だとは思うが、わりと昔のことは覚えている。小学生の時に仲良く遊んでいたクラスメイトの名前はすぐに出てくるのに、会社に入り社会人となってからから関わった人の名前はもう、半分以上が不要な情報として既に記憶から抹消されてしまったようだ。
実際、不要ではあるから問題ないとはいえ、年齢を重ねるにつれて余計な情報を保持しておくだけの記憶容量がなくなってきたのは、気のせいではないだろう。
そのうち、親しい人間の名前すら忘れてしまうのではないかと、少し怖い感覚がある。

会社関係の人間はプライベートな付き合いではないから、より一層、記憶の整理対象になりやすいのかもしれない。長い勤務時間、同じ空間を共有していたとは言っても、所詮は赤の他人であって心理的には壁が存在するような相手だ。いったん関わりが途切れたら、忘れてしまうのも無理はない。
しかし懸念しているのは、より距離の近い人間に対してだ。個人的に親しいと感じている友人を数年以内に忘れることはないはずけれど、大学時代に同じサークルやゼミに所属していた「仲間」や、同期入社した人たちや、親しい友人を通じて何度か接点があった「友だちの友だち」のような連中について、私の記憶は以前ほどの確からしさを備えていないように思う。
なんというか、思い出そうとすれば名前は出てくるのだけれど、妙にラグを感じてしまうのだ。スッと情報を取り出すことができない。なんだっけ、なんだっけ、ああそういえばそんな感じだったな、と自分の記憶なのに他人事のような感覚すらある。

また、アウトプットが上手くできなくなっただけではなく、インプットも下手になったような気がしている。
まぁ人の名前くらいだったら、顔や全体のイメージと併せて複合的に記憶するから定着しやすいとも言えるけれど、それでも大勢を一気に記憶することは以前のようにはできないし、確実に能力は落ちている。
一方で、無作為な数字の羅列などに対しては本当に弱くなった。昔は10桁の電話番号くらい一発で覚えられたのに、今では4桁ずつくらいの単位で慎重に繰り返さなければ、容易く誤謬を犯してしまう。
もはや、私は自らの脳にかつての輝かしい記憶力を期待できなくなってしまった。普通に忘れるし、当たり前のように間違いだって起こる。衰えというのは怖いものだ。

 

思うに、対人コミュニケーションの大幅な減少が記憶力の低下を招いているのではないだろうか。
人と関わることというのは、それだけで途轍もなく頭を使うものだ。異なる人間それぞれに対して適切な対応を行わなければならないという無意識的な働きは、自然と脳を活性化させるし、その人の名前も強く頭に残る。
それに対して、自宅に引きこもった生活が続いていると、人間力が低下するせいか、コミュニケーションに必要なファクターが次々と脳のリソースから欠落していくのだ。人名というのも、そのうちの一つに過ぎない。
この一年ほどで、私は随分と会話をする能力が落ちたように思う。

どうせ会わないし……と勝手に記憶から人の名前を消していく脳の自動作用には参ったものだが、記憶から消えたのは、実際もう会うことはないであろう人が大半なので、ただストレスなく生きていくという意味では、むしろ無駄を削ぎ落とす結果になっていて効率的というか、省エネになっているのかもしれない。
ただ、ふと過去を振り返ろうとした時に、人の名前が出てこないというのは寂しいものだ。あれだけ会話を交わした人物なのに、あんなに印象的な出来事があったはずのに、どうして思い出せないのか……きっと、今後はそういう悩みが増え続けるのだろうなと思う。

この延長線上に認知症があるのかもしれないと思うと怖いことだし、できるだけ他者との関わりが持てるような選択肢を選んでいきたいなぁと、なんとなく思うようになった。
残念ながら現実は、おそらく週に一度程度、誰かと会話があればいいほうで、コミュニケーションという観点ではなかなかに厳しい状況に置かれているから、私の人生はもう半分くらい詰んでいるのかもしれない。それを覆すだけの活力やモチベーションには、今のところ光明が見えない。