K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

夢と現実の境界

先日の日記で、妙な夢ばかり見ると書いた。起きたらいずれも忘れてしまうけれど、変な夢を見たという印象が強く頭の中に残っている感覚は、あまり気持ちのいいものではない。
ふと、これは現実のことだったか、夢の出来事だったか、わからなくなる時がある。
睡眠中に私の頭を支配している様々な夢が、徐々に現実世界を侵食し始めているのだ。本当に勘弁してほしい。

 

以前にも同様の悩みを抱えていたことが、あったような、なかったような……半分は夢の話なので若干イメージが曖昧なのだけれど、しかし確かに悩まされていたような気がするのだ。
夢の内容が非常にリアルというわけではないにもかかわらず、まるで現実に起こったことのように錯覚してしまうのは、いったいなぜだろうか。

思い当たる原因は二つある。
一つは、熟睡できていないということだ。最近は生活リズムの崩壊に伴い、ぐっすり眠ることができなくなった。かつて夢と現実を混同していた時期も、日常のストレスによる影響で睡眠の質がすこぶる低かったように思う。
眠りが浅ければ浅いほど、見ている夢の世界が現実の意識に近いところで実演される。言うなれば、半ば意識を保ったまま不思議な夢の世界を体験することになるせいで、起床時に頭の中にその名残りが漂うことになるのだ。そして、本来は現実の出来事のみを記憶するはずのところに、奇妙なイメージを挟み込むことになるのではないだろうか。

もう一つの原因としては、起きている時間に私が直面している活動において、著しく刺激が減少していることが考えられる。
そもそも、覚醒時に印象的な出来事を経験していれば、それが強烈な思い出として脳裏に刻まれるはずなのだ。夢のインパクトに負けないくらいの面白い時間を、よく考えてみたらしばらく経験していないような気がする。
楽しかった冬アニメが終わってしまい、春アニメはまだ盛り上がる段階ではないので、これは定期的に訪れる虚無期間と言えるかもしれない。
平凡な日常は印象に残りづらい。だから、そういう隙間に夢が入り込んできてしまうのだ。

まぁ結局のところ、外に出て適度に体力を使い、なんらかの刺激を受けるような生活を心がけていけば、一挙に問題は解決するはずなのだ。
とにかく、引きこもり続けて昨日や一昨日との違いがほとんど感じられない日々を送っているのは、身体にも頭にも悪い。明らかな違いと言えば、もはや書いている日記の内容くらいのもので、それにしたって新しい出会いがないと、次第に類似した文章を延々と生産するだけのbotとなり果ててしまうだろう。
昨日の日記みたいな、やや病んだような思考が生まれてしまうのも、生活の根本に問題を抱えているからに違いない。

 

夢と現実を同一視してしまうことの何が問題かと言えば、ミスをしてはならない事柄に関して致命的な思い違いを犯してしまう可能性が高まるという点に尽きる。
普通の精神状態では決して間違えるはずのない判断を、あっさりと違える。過去に何度か、取り返しのつかない事態をギリギリのところで回避したことがあったのだが、いずれも驚くような勘違いが窮地を招いていた。
今は、形式的には一応自立している状態で、誰の助けも得られない環境に置かれているため、その手の失態はできるだけ避けなければならない。

願わくば、自然に健常な状態へと移り変わっていきたいものだけれど、今のところは自らの努力+外部からの働きかけに望みを託すしか道はないので、ひたすらに「人事を尽くして天命を待つ」ことしかできそうにない。
人生をかけた運試しのようなものだ。
まぁこれは、真っ当に社会人生活を送るよりも退屈するということはあり得ないし、自ら望んで手に入れた状況ではあるのだが……もう少し、この環境の強みを活かしていきたいなぁと思う今日この頃だった。