K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

右脳を刺激

信憑性があるのか定かではない話だけれど、絵が上手い人は左利きが多いと聞いたことがある。あるいは絵に限らず、芸術系の分野全体でその傾向があるのかもしれない。
左脳と右脳の働きが違うことは一般教養レベルで有名なことなので、なるほど右利きと左利きの差が芸術センスに影響を及ぼしているとしても、おかしなことではない。
まぁそれが才能とか育った環境とか、後天的には覆しようのない「個人差」を超えるほどの強い影響力を持っているかどうかはまた別の問題だが、ともかく右脳を活性化させようと思ったら左利きのほうが有利であるという説には、ちょっと惹かれるものがあった。

 

私は幼い頃からずっと右利きとして生きてきたので、当然ながら左手で細かい作業をやっても上手くいかない。どちらかと言えば、なぜか右手よりも握力が高いこともあって、これまでは重い荷物を持つ際などに活躍することが多かった。
技術の右手、パワーの左手といった使い分けだ。それはそれで、悪いものではなかった。

ただ、昨年の九月末あたりから、突発的な思いつきによって、左手で箸を使うという試みを行うようになった。当時の心の動きは十月上旬あたりの日記に書かれている。
日記によると、いざ右手が使えなくなった時に人生が不便になりそうだから、手段を増やしておきたいということらしい。数か月前のことですらすっかり忘れているから、日記というものの有難みを実感する。
そんなわけで、文字や絵よりも簡単そうな食事から、左手の稼働を開始したという流れになっていた。

実は、左手で箸を使うという習慣は今では当たり前になっていて、特に意識することなく、最初に箸へと伸びる手は左という日々を送っている。もう半年は続けているので、流石に学習能力がしっかりと機能したらしい。普通の食事であれば、不都合なくスムーズに掴めるようになった。
皿の底に溜まった細かい食べ物を口に運ぶ時だけは、右手の力を借りることはあるものの、ほとんどマスターしたと言ってもいいだろう。

さて、もはやきっかけが記憶の片隅に追いやられていた右脳活性化計画ではあるけれど、その進捗状況は微妙であるという以外に表現のしようがない。
箸を左手で使えるようになった。それでは何か、芸術的センスやこれまでになかった閃きが生まれたかと言うと、別にそういうわけではない。思考回路の一部に変化が生じている可能性は否定できないけれど、肯定するに足りる物的証拠を見出すことなんて、ほとんど不可能に近いのだ。主観の問題でしかない。
あるいは、私のアウトプットした数々の文章や絵を他人に評価してもらう方法もあるが、本人に自覚がない程度の変化を発見することなどできるものだろうか。仮に差異を抽出できたとして、それが右脳活性化による結果と言い切ることはできるだろうか。

 

まぁしかし、本来の目的は手段を増やすことであって、結果的には、無事に左手で箸を使えるようになるというミッションは果たしたと言ってもいい。
右脳がどうのこうのという話は、あくまでオマケ、付加要素に過ぎないのだ。
それに、これまでの人生には存在していなかった左手による細かい力の加減調整という活動は、確かに脳に新たな刺激を与えていることだろうし、今はまだ実感が得られないとしても、今後の継続次第では未来を変える可能性を十分に秘めている。
だから、これからも毎日、箸を使う時は基本的に左手でいこうと思う。

ちなみに、文字や絵については保留のままにしておくことにする。
そもそもアナログで文字を書く機会なんて、昨今では役所などの機関に提出する申請書くらいのものだし、右手ですら鈍っていて文字が上手く書けなくなっているのだから、左手で書こうなんて無茶な話だ。
それでは絵はどうかと言えば、まず右手でちゃんと描ける領域に到達してから考えろという話で終わる。右手ですら未熟なのに、左手で何ができるのか。そんなことにエネルギーを使うくらいだったら、もっと右手で練習すべきなのだ。

……そろそろ、一日の可処分時間の大半を絵に費やす集中期に突入したほうがいいかもしれない。あれこれ余計な思考にとらわれて、なかなかまとまった結果を出せないというのが、最近の悩みというか問題というか、おそらく今後も延々と付き合っていくことになる課題なのだ。