K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

クロス探偵物語

昨日、ウマ娘に新しくカレンチャンが実装されたということで、ガチャを含む育成の配信がYouTubeの某チャンネルで行われていた。
ふと、なんだか面白そうだなぁと、私には珍しくYouTubeの配信に興味を持ち、さっそくアーカイブを視聴することにした。
その配信自体は期待通りという感じで、まぁそれなりに満足できたわけだけれど、それにしても一回あたり3時間近くなると、日頃から追うのは難しそうだなとも思った。


何かラジオ代わりにちょうどいいものはないだろうか。そんな考えで過去の動画を漁ってみたところ、非常に興味深いものを見つけた。

www.youtube.com

20世紀の終盤に発売された『クロス探偵物語』は、実のところ私の人生を紐解いていった時に、無視できない存在感を放っている。
あれはまだCEROレーティングが制定される前の時代で、今なら少なくとも15禁、あるいはZ指定の対象となっていたに違いない生々しい描写が含まれているゲームだ。
当時未成年の私が、このゲームによって受けた影響は、今から考えると計り知れないものがあったかもしれない。「普通」になれない人生を歩み始めるきっかけだったという可能性があるし、それほどではないにしろ強靭なグロ耐性を身につける契機となったのは確かだろう。

ジャンルとしては推理アドベンチャーということになるのだが、ただの推理アドベンチャーではない。
たとえば、ロード時間がほとんどゼロという画期的なシステムが搭載されていたり、キャラクターの動きや表情などが多様で見ていて退屈しなかったり、当時の平均的な水準からすると、かなり高度に作り込まれたゲームだったように思う。
内容的にも先が気になるストーリーが面白く、総じて評価するなら、買って後悔しない出来だったと言ってもいい。古いゲームなので知名度がどの程度なのか不明だが、レビューを見ると軒並み好評で、今でも続編を待っているファンが散見される。

配信は、昔にプレイしたという中村さんがコントローラーを操り、初見である梶田さんや大川さんとの雑談を交えて進んでいった。
この雑談がまた面白いもので、ゲームそのものに対してであったり、昔話であったり、サブカルに関する各々の想いであったり、なかなかに聞き応えがあるものだ。
私はゲームを懐かしく感じながら、ふむふむと彼らの会話を楽しむことができたので、続きが配信されるなら見なければ……と思ったのだった。


私の実家には、ソニー製の据置ハードはPS1より後の機種がなく、詰まるところ21世紀になって遊んできたゲームの大半は任天堂ハードのものか、携帯機のソフトだった。
今ではPS4あるいはPS5か、Switchという時代になっているけれど、プレステと言えばPS1時代の記憶しかない。
そんなわけで、今から懐かしのゲームを遊ぼうと思っても気軽には手を出せない難しさが存在している。互換性の問題でPS4やPS5では遊べず、PS3を入手すればプレイ可能とはいえ、生産終了してからしばらく経っているので、ちょっとした遊びのためだけに買うのはハードルが高い。
実家にあるPS1は、おそらく本体はまだ動くと思われるが、最後に触れた10年近く前の時点でコントローラーが故障しかかっていたので、もうプレステのゲームで遊ぶことはないだろうと思っている。
調べたらエミュレータを使って云々という情報は出てくるのだが、できれば公式の手で最新ハード用やPC用に全ソフトを移植してくれないものだろうかと、密かに願っている。

クロス探偵物語』に関しては、収録されている物語が全7話あるのだけれど、最終話は自らの選択肢で途中経過が変わるという方式が採用されている。
全パターンを見ると、オマケとして事件の解説が見られるという話を聞いていたので、ファンとしては是非とも回収したいという考えがあった。
しかし残念なことに、いろいろと手違いがあったのかよく覚えていないが、全部を一つのセーブデータで攻略するというミッションが達成できなかったので、見ること叶わず……結局、その心残りを放置したまま現在に至る。

コントローラーだけでなく、ディスク自体が諸事情あって破損してしまったこともあり、これから遊ぶためにはどうやっても中古で必要なものを揃えなければならない。
心残りとは言っても動機づけとしては弱く、この微妙な感情は行き場を失って心の奥底でずっと燻っていたような気がする。自分自身の欲の問題なのに、なんとも情けない話だ。

なおゲームの制作会社は、今はもう存在していない。確か2000年代前半くらいに続編のPVが作られていたのだけれど、それから続報はないから期待はできないだろう。
また、そのPVがあまりにも雰囲気が違っていた点も気がかりだった。ゲーム制作の中心人物が消息不明とかなんとか……まぁきっと、あのまま作られたとしても求めていたものが出来上がるかは微妙なところで、だから「昔の名作」として心にしまっておくのが一番いいのかもしれない。