K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

常識を弁える

昨夜から今朝方にかけて話題となっていたウマ娘の問題について、私も怒りのあまり勢いで3,000字近い文章を書いたものの、日記として上げる前に読み返してみたら流石に冷静さを欠いていたので、やむなくボツにすることとなった。
まぁあれだ。寛大な心によって、考え得る最良の落ち着き方を果たしたので、わざわざ蒸し返す必要はないだろうと思ったのだ。
ただ今回の件で、コンテンツのファンを含むあらゆる「関係者」は、気を引き締め直さなければならないだろうなぁとも思う。


誰もが予想しなかった形で盛り上がっているウマ娘だけれど、そもそもこれは善意や良識というものが前提にあって成り立っている非常にデリケートなコンテンツなので、明確な悪意に対しては非常に脆いものだ。
リリースからちょうど二か月が経ち、気の緩みやすいこの時期にその弱点が顕在化したというのは、今後の発展において一つの糧となるのではないかと思う。
ちょうど二次創作界隈では、表現の限度について探り探りという雰囲気が作り出されていて、このところどうにもチキンレース感があった。
それはそれで技術的レベルの底上げをもたらす可能性があるので否定はできないけれど、慣れというのは怖いもので徐々に感覚が麻痺してくるから、こうして大きな規模で認識の共有ができたのは不幸中の幸いといったところではないだろうか。

まったく別の観点として、そもそも二次創作がアウトだという意見がある。
まぁ正論ではあるのだが、しかしながら、それは他のあらゆるコンテンツと同様に取り扱うべきだろう。
サブカル業界全体の方向性として、同人活動というのはグレーゾーンで生かされている存在であり、ファンによるリスペクトと公式による黙認という間において成立する奇跡であると私は認識している。
実際、コンテンツの魅力が広まる要因としてファンアートが担っている部分は大きく、表現をする者の「好き」という気持ちはこの上なく尊いものだ。常識的に取り組んでいれば、それを公式が制限する大きな理由もないだろう。
己の欲望のためだけに行動し、空気が読めず節度が守れない一部の連中が悪目立ちするから、たびたび問題視されるのであって、多くのファンにとってそれは悲劇でしかない。だから二次創作自体が悪であるという論調には、なんとも言えない悔しさを覚える。

今回の件は、当たり前の常識を弁えられない異常者が暴れたことが原因で、言うなれば事故のようなものだ。事前にどれだけ注意を払ったとしても、突発的な事故は避けようがないから、残念ながらこれからも定期的に問題が引き起こされるような気がしている。
もともと、配慮してほしいというお願いがあったのだから、素直に従って配慮すればいいだけの話なのに、どうやら厳密に示されていないと線引きがわからない人間がいるらしい。
「配慮」という言葉が示唆するものは確かに曖昧ではあるけれど、結局のところこれは、表現した内容が他者にどう思われるか、ということについて想像できるかどうかなのだ。
社会通念上、常識的とされる普遍的な感覚というものは、まともな人間であれば成人する頃までに自然に身につけているはずで、仮に直感的にわからなくても周囲の様子を窺うことはできる。このくらいだったら大丈夫、これ以上はちょっと危ないかもしれない、という判断は多くの人が無意識的にやっていることだろう。
もちろん、本心でどう思うかは自由だ。それとは別に、常識を弁えることは人として最低限の備えというだけの話であって。

問題行動を起こしてしまう人は、自らを客観視できない。大衆の大きな流れを捉えられない。あるいは逆らうことに喜びを覚えてしまって、結果どうなるか想像することができない。やや強い言い方をすると、単純に知能が足りていないのだと思う。
ウマ娘は大人気コンテンツになったがゆえに、そういう連中が入ってきてしまうのも仕方ないところはあるけれど、これほど愛に満ちた作品は近年なかなか見られないので、こんなくだらない出来事で衰退の兆しが見えてしまうのは、遺憾なことであるし誰も幸せにならないだろう。
だからせめて、今回の件を教訓としてファン全体の民度向上を期待したい。洗練された意識から、より素晴らしいコンテンツの発展を迎えられることを切に願う。


一方で気になったのは、ちょっとした失言によって延々と叩かれ続ける同人作家の存在だ。
発言を擁護するわけではないけれど、ほとんど無関係であるにもかかわらず過去の言動と絡めて執拗に粘着される有り様には憐れみを禁じ得ない。
叩いている人の思考も理解できないわけではないだけに、もう「人間ってクソだなぁ」と思うことしかできない。

同人作家に限らず、いったん悪者だという空気が出来上がってしまったら、あとは徹底的に叩き潰しても構わないという風潮がよく見受けられる。それがまたTwitterというツールとの相性がバッチリで、たった一度の失言によって今後の人生が大きく狂ってしまう人は少なくないだろう。
日本人の気質なのか知らないが、とても気持ち悪い傾向だと感じている。「誹謗中傷」というワードに関連して昨年は取り上げられることが多かったが、私見によると、おそらくその原動力は本能に近いところにあると思われるので、今後もなくなることはなさそうだ。
誰かを攻撃することで得られる快楽なんて、みんなが笑っていられる幸せに比べたら、ちっぽけなものだろうに。
私も気をつけなければならない。