K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

ネタがないというネタ

いつものように日記を書こうとしたのだけれど、困ったことに何を書けばいいのかわからなくなった。
引きこもり生活を続けていても、なんだかんだで書きたいことがあったので続けてこられたのだと思っているが、時折こういう虚無の日が訪れる。
しかしそこは慣れたもので、書くネタがないのなら、それ自体を文章にしてしまえばいい。今回はそんな、内容のない試みだ。勢い任せに書いてみることにする。

 

ネタがないので突然ハイ終わり、というわけにもいかないので、どうにか想像力を膨らませていきたいところだけれど、まぁ取っかかりとしては、どうしてネタが思い浮かばないのか、みたいな雰囲気でいきたいところだ。

まぁしかし、そもそも外出しなければ視界に入る景色は代わり映えせず刺激に乏しいので、そんな状況の中、毎日異なるテーマで延々と文章を書き綴っていたこれまでの生活が、わりと特殊だったのかもしれない。
きっと普通の神経をしていたら、とっくに頭が狂ってしまっていてもおかしくないわけで、私に引きこもりの才能があったからこそ成立していた生き方なのだろう。
もともと頭のおかしい人間であるという、ひょっとすると事実かもしれない仮説にはあえて目を瞑って、ここはポジティブに、私が特別な力を持っているという前提で話を進めていくことにする。

そんな尋常ならざるセンスによって継続してきた「無から話を生み出す営み」も、ひとたび不調に陥れば正常に回らなくなるものだ。
振り返ると、これまでいったい何をやってきたのかと虚しくなるのは今さらではあるけれど、力を失った後に残るのは一切の生産性を欠いたハリボテも同然で、こんなにも私自身の内側には空虚が詰まっていたのかと思い知らされる地獄が、果てしなく前方に続いていていることに気づく。
目に見える形で成果を上げられる能力なんて、まるで備わっていない。私が私として存在していることの意味なんて、いったいどんな視点から見れば真っ当に把握することができるのだろうか。書けば書くほど無性に悲観的な感情が湧き上がり、とうとう中身が伽藍堂のまま、音も立てずに破裂してしまいそうだ。
そして割れた孔から洩れるのは、私の真心なのか、それとも仮初の感情なのか。

……さてはて、特に書きたいこともない中で、ポエムもどきの文章を続けるのは思っていたよりも苦痛であることを知れたのは、悪くない収穫と言ってもいいが、これ以上は私の何かを破壊しかねないので、このあたりで勘弁してほしい。
なんだか想像していたよりも短い気がして、書こうと思えば数倍の長さになりそうで危険だから、その前に手を打つ判断は重要だ。

そういえば、一つの記事につき最低1,000字というのが、日課にするにあたって無意識的に取り決めた事項ではあるのだけれど、苦しみながらも気づけばこうして到達できているあたり、心身の健康に即した適切な基準なのかもしれない。
小学生の頃は読書感想文を書くのに原稿用紙一枚を埋めるのすら苦労していたのだから、不思議なものだ。