K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

ビギナーズラックという幻想

世の中には初めての挑戦で上手くいってしまう人がいるので、ビギナーズラックという現象自体はしばしば発生するものだと思う。
けれど、だからといってすべての初心者に幸運が舞い込むわけでは当然なく、言ってしまえば結果論に過ぎない。本来は実力のないはずの素人が偶然に結果を残し、変に目立ってしまうだけなのだ。

 

たまたま運に恵まれる。
長い人生を生きていたら、そういう出来事に遭遇することは一度や二度はあるかもしれないけれど、基本的にはアテにしていいものではない。
不思議なことに右も左もわからないはずの人間が全部を掻っ攫っていくような状況に何度か立ち会ったことがあるのだけれど、少なくとも私自身は、初心者のうちに何もわからないまま大成功を収めてしまった、という経験なんて記憶の限りでは一度もない。

大学時代には麻雀をやる機会が多かったのだけれど、とうとう卒業までに役満和了ることはできなかった。三倍満が確か一回か二回あったかどうか、といったところだ。
私より後に始めた人が、たった数週間で役満を経験しているのを見た時には思わずビギナーズラックの存在を考えたけれど、最初から負け続きで大した役に恵まれなかった私の麻雀を振り返ると、ただの確率の偏りでしかないことに気づく。
初心者だから、ではない。単純に、その人は運が良かったからに過ぎないのだ。

競馬にも同じことが言える。幸運の星のもとに生まれた人は、最初に購入したものが万馬券に化ける。私は一年半やっているけれど、いまだに最大の当たりが20倍程度で、本当にツキがないと思う。
もちろん複勝馬連にしていたら当たっていた、なんてことはあるけれど、それなりに大きな見返りを狙った三連複や三連単馬単などは当たった試しがない。
結局のところ、頭や身体の働きのみで結果を導ける勝負事なら、まだ健闘のしがいがあるのだけれど、運要素が半分くらい絡んでくるゲームは本質的に相性が悪いのだと思う。

思えば昔から対人遊戯において勝ち越したことがほとんどなかった。じゃんけんの勝率は大袈裟に言えば二割くらいのイメージで、まぁ実際には四割くらいだろう。
人間はプラスよりもマイナスのほうが感情的に大きな影響を受けやすい生き物なので、物事に対する印象は悲観的になりやすい。
だから、こういうことを書くと多少は誇張が入ってしまうものなのだが、それを考慮しても私は相当に運が悪いほうだと思うし、その分だけ他の人は結果に恵まれていることが多い。
その人が、私とまったく関係ない状況においてどれだけの運を発揮しているのかは知らないけれど、私と対戦する場合に限るなら、不運の大部分を私が吸収してしまうために、相対的にツキが回ってしまうのだろう。
他人のビギナーズラックを見届けるのに、あまりにも慣れすぎた。私のもとへは、決して訪れないというのに。


……などと不運についての不満を挙げていったらキリがないわけだけれど、そもそも人生をゲームとして捉えるのなら、私は初期設定において多大なる幸運の恩恵を受けていると言われても否定できない事情はある。
それなりに裕福な家庭に生まれて、特に教育について煩く指図されることなく、のびのびと育てられて、人生の選択においては常に自分の意志を優先させてもらってきた。
まぁ今の日本社会においては珍しいタイプの家庭だったので、ある意味でなかなか社会に適合しにくいモンスターに育ってしまった側面はあると思うけれど、しかしながらこれを恵まれていないと言ってしまうのは平均的な家庭で育った一般人に申し訳ない。
そんなわけで、もしかしたら私の運の大部分は、生誕から物心がつくまでに消費しきっているのかもしれない。

運は平等ではないと思うし、総量が決まっているわけでもないと考えるので、これからのことは今後次第……ではあるのだけれど、ここまでの大きな流れを汲むとしたら、しばらくは険しい道が続いていきそうではある。