K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

そもそも人間の民度が低い

SNSの発達というのは情報発信・情報収集の点で過去にない恩恵を人々にもたらしているとは思うけれど、その一方で人間の普遍的な傾向が顕著に表れやすい空間でもある。
ときおり目立つ「それ」を見て、私は思うのだ。ああ、そういえば世の中には想像以上に頭のおかしい人が多いのだったな、と。

 

あまり人との接点を持たない私にとっては、ここで言う「想像」なんてものは非常に規模の小さい数でしかない。
もっと現実的に世界に向き合っている知的な人にとっては、きっとそれほど感覚との乖離は大きくないのだろう。
とはいえ、最近は明らかに「異常者」を目にする機会が増えてきたので、下手をすると消極的に使っている私でさえ精神が汚染されかねないという危険を感じている。
SNSを免許制にしろ、なんて過激なことを言うつもりは毛頭ないが、個人の備えとしては、日頃から他人に対して構えておくべき認識の水準を、もう少し別の形に変えていく必要があるかもしれない。
インターネット上で存在をアピールしている、画面の向こう側にいる数々の人間は、かなり高い確率で最低の民度であるから、初めから真っ当なコミュニケーションが取れると思っていてはならない……なんていう風に。


誰かが言っていた話を朧気な記憶のまま引用するけれど、世の中のほとんどの人間は正常な判断力や知性を持っていないのだという。
客観的に見て社会で通用するような文章を書けたり、あるいは論理的な文章を読めたり、もしくは人の話を聞いてそのまま理解することができたり、その内容から理性的な判断ができたりする人は、全体で見れば相当に上位の知能を持っているのだとかなんとか。
詳しい割合は忘れたけれど、一割とか二割とか、そのくらいだったような気がする。

まぁ考えてみれば高校を卒業して大学へ進学するのは世代の約半分で、そのうち過半数は特に集中的な勉強を必要とせずに入れるくらい学力の低い大学なので、いわゆる王道の人生を進む者というのは一般的に考えられているほど多くはないのだ。
それなりに偏差値上位の大学を出たところで、私みたいに難癖つけて自らフェードアウトしていく人も珍しくなく、世間的に正義とされるレールに定年まで乗っかっていられる人は、実は相当に少数派なのだろう。
そして必ずしも大学に通うことが絶対ではないし、専門学校に入ったり高卒で就職したりする人生を送る人の中にも優れた人材はたくさんいるだろうから、これはあくまで傾向に過ぎないわけだが……まぁでも結局、どの道を選んでも有象無象の下位九割と上位一割に分かれるのではないかと思わないでもない。

私を不愉快にさせるのは、通常の生活を営んでいたら決して出会うことのないはずの「異常者」たちに、SNS上では容易に遭遇してしまうという構造そのものだ。


Twitterにはトレンドというものがあって、ホットな話題がリアルタイムで変動するランキング形式でわかるようになっている。
大半は興味のない事柄なので無視することがほとんどだが、たまに気になる話題も出てくるため、ついクリックしてしまうことも少なくない。
単純に、こういう出来事があった、ということを知るだけならそれで終わりなのだけれど、どうにも特定のツイートに対して、しょうもないリプライを送っているアカウントが目について仕方ない。
以前はこんな「交通事故」に遭うことは、滅多になかったのに。ここ数年で知性に欠ける言動が、異常に増えているというのが私の実感だ。

頭のおかしい人間は昔から一定数いるというのは、考えるまでもなく当然の話で、それが目立つようになったからといって特別に狼狽える必要はない。
むしろ目立ちやすくなったからこそ、日本人お得意の同調圧力によってバカの淘汰が進んで、全体数では減っているという考え方もあるかもしれない。
ただ、その流れも含めて、私は気味の悪さのようなものを感じずにはいられないのだ。

気に食わない事象に対して、意図的に炎上させてやろうと迷惑行動を起こすテロ紛いのアカウント。
特定の人物や組織について、社会的あるいは倫理的に問題があると判明した途端に生まれる、徹底的に潰しても構わないという共通認識。その後の攻撃。攻撃。攻撃。
近年よく取り上げられるSNSの問題点そのものではあるが、原因はいずれも程度の低い民衆にある。

もっと個人レベルの話だと、直前に書いてあることが読めず的外れな指摘や質問を繰り返す人間というのは枚挙に暇がなく、そういう連中は着実に周囲へ不幸を撒き散らしていると言ってもいい。あれで普通に社会生活ができているのか、本当に不思議なくらいだ。
一昔前は自ら探しにいかなければ見つからなかった彼らも、最近では至るところに出没するようになって、もはや視界に入るくらいなら頻繁に起こり、うっかりしていると刺されることもある。
個人的にはアレのことを「ネット通り魔」などと呼称しているのだが、たとえば公式アカウントのリプライに群がる連中を観察していると、本当にうようよしているから恐ろしい。

ここまで個人・企業ともに普及した以上はTwitter(あるいは代替手段)なしで生きていくのは難しいとは思うけれど、誰でも使える反面、常識に則って正しく効果的に運用するのは非常に難易度が高いものなのだと、あらためて思うようになった。