K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

ストレスの大半が隣人という話

ストレスがなさすぎる生活ってどうなのだろうと思っていたけれど、人間は環境に適応してしまうので一見すると快適な状況においても、ストレス源を見つけることは難しくない。あるいは、以前なら無視できた些細なことが気になるようになった、というほうが近いかもしれない。
まぁ実際のところ、大きなストレスとなっているのはほとんど隣人の行動に限られるため、神経質にさえならなければ極めて快適と言えないこともないのだが。

 

暑くて寝付けないとか、寝坊をして予定が崩壊するとか、日常に潜む例外的な事象は少なからずメンタルにダメージを与えるものだけれど、たいていは昔から何度も繰り返し経験してきた刹那的な問題やミスに過ぎないので、数日も経てば忘れてしまうものだ。
責任の大部分が自身にあって、工夫をすればすぐに解決できるという点も特徴的で、あまり深く悩まずに済む。
何日間にもわたって引きずるということはないし、それが健康に影響を及ぼすこともない。

一方で外側から、つまり自らの意思に依存しない他者の行動によって変化する物事というのは、ストレス源としては厄介な部類に入る。
他者との接触があれば遭遇する機会は多いだろうし、いわゆる仕事なんてものはストレスの塊と上手く付き合う方法を探るようなものなので、普通に生きていたら誰もが知ることになる「嫌なこと」ではあるだろう。
逃れようとしても、どうしたって自らを飲み込んでくるトラブル。想定外の事態。手を打たなければ延々と心を蝕んでくる悪夢。
眠って心身を休めても変わらない現実というものが、そこにあるのだ。

少し前に、隣人の迷惑について管理会社へ連絡して云々……という日記を書いたけれど、そもそも人間性の話として、無意識にせよ継続的に他者に迷惑を与えてきたような奴が、ちょっと注意された程度で行動を改善できるはずもないので、依然として私が日常においてストレスを感じる場面は少なくない。
夜間にイヤホンを使用せずスピーカーから妙な音を垂れ流し続けるキチガイ精神には困ったものだし、音が響くかもしれないという想像力の感じられない一挙手一投足には苛立ちを通り越して、もはや呆れているくらいなのだが、こんな壁の薄い物件に入居してしまった自分の過ちを棚上げして一方的に言葉で喚き散らすのにも飽きてきたから、そろそろ私の神経が慣れて鈍化しないものだろうかと願っている。
結局、育ちが悪い人間は一生クズのままだろうから、何をしても無駄なのかもしれない。隣人ガチャで当たりを引けなかった時点で、私の運負けでしかない。

まぁ唯一の確実な解決策を挙げるとすれば、私がここを出ていく択しか残っていないのだろう。
隣人が真っ当な社会人生活を開始するか、なんらかの転機で出ていく可能性も一応は存在しているけれど、最近はそんな僅かな希望に期待するべきではない気がしてきている。

 

まったく生きている世界の異なる人間というのは、当然そこら中にいるわけなのだが、普通に生きていたら出会う機会が意外と少ないものだ。
多くの場合、学生は概ね学力によって自らに相応しい環境に身を置くことになるわけで、そうなると自分とは異なる層(知識や教養のレベル)の人間と接触することはなくなる。
会社も同様で、それなりの企業に入るためには一定以上の学歴やスペックが要求される社会であるから、まるでレベルの異なる人間とすれ違うことは滅多にない。

本当に驚いたことなのだが、隣の女は頭が悪い。
話したこともないのに印象で語るのはどうなのかと思わないでもないけれど、声や足音が響いてくる環境にずっといて、数メートルも離れていない距離で生活しているのだから、わかってしまうのだ。
頻繁に連れ込んでいる複数の友人も、明らかに知能が低いというか、精神年齢の幼さが如実に表れている雰囲気で、私自身がこれまでに出会ってきた誰とも共通しない、異生物のような気味悪さすら感じてしまう。
どうやったら、あんな風に育ってしまうのか。

面倒くさいから具体的には列挙していかないけれど、「社会のクズ」とか「底辺」とか、そういったマイナスイメージの言葉と密接に結びつくような言動が目立っていて気に障るため、こういうタイプの人間と出会うことのなかったこれまでの人生は、それなりに運が良かったのではないかと思ってしまうほどだ。
おそらく大学三年くらいの年齢かと思うのだが、このままでは普通の社会人を目指していくのかすら非常に怪しい。
別に、自由な人生を歩もうとすること自体は否定しないし、労働の価値が下がってきた時代だから好ましいとすら思うけれど、それはそれ。私が被る迷惑を考慮すると、極めて退屈な社畜にでもなってもらいたいところだ。