K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

MP溢れ

世の中には二種類の人間がいる。
対人コミュニケーションによって精神力を消耗する人と、回復する人。もう少しわかりやすく、ゲーム的にMPという表現を使っていきたいが、要するに人と会話したり遊んだりすることでMPが減少する人もいれば、増加する人もいるという話だ。
まぁ実際には植物の呼吸と光合成における酸素と二酸化炭素の関係のように、どちらも発生している人が大半だと思うけれど、MPが変化する大きな方向性について、ここでは便宜的に増加と減少のニパターンに限って考えていきたい。

 

より人格的な傾向に強引に当てはめるなら、回復するタイプの人間が「陽キャ」、消耗するタイプの人間が「陰キャ」ということになるだろう。
気軽に友人と会って遊ぶことすら躊躇せざるを得ない世の中においては、従来の頻度と密度でコミュニケーションを行うことができなくなっている人がほとんどであり、その影響がMPの変化傾向によって異なって表れているように思われる。
いわゆる「陽キャ」は人と会えなず孤独で過ごすことに耐え難い苦痛を覚えるし、いわゆる「陰キャ」は余計なストレスが減って快適な時間が増えるのだ。
……書いておきながら否定したくなってくるくらい、これはあまりにも偏見に満ちた考え方なので、冗談半分の戯言でしかないのだけれど、ともかく一部の人に焦点を絞ってみるなら、当たらずとも遠からずな現象だと思っている。

私は当然のことながら「陰キャ」側の人間であるから、こういうご時世になって人と機会が減り、基本的には気楽になった。
以前の生活と比べたらストレスが少なすぎて、精神面の安定感が段違いと言ってもいい。
毎日、誰かと会話をしたり連絡を取り合ったりしていないと耐えられない、なんていうタイプの人間とは、ちょっと相性が悪いかもしれない。

出社して、様々な人と一日中コミュニケーションを取り、常に周囲に気を遣いながら仕事が終わるまで我慢する。心身ともにボロボロの状態で帰路につき、ようやく落ち着く空間に戻れたと思ったら眠気に抗えず自由時間を失うことになっていた頃の私は、明らかにMPが欠乏していた。
土日というオアシスで徐々に回復を試みても、平日になれば週の前半には空っぽになり、残りは心を削って凌ぐしかなかった。
仕事終わりに飲みに行くなんて信じられない行動だったし、一人きりの何にも束縛されない時間を作ることでしかMPの漏出を止めることはできなかったのだ。
あの頃と比べたら、今はほとんど常に回復しっぱなしと捉えても問題ないくらい、MPに余裕がある。余裕がありすぎて、溢れてしまうほどだ。

ただ、最近よく思うようになったのは、今の世の中は確かに「陽キャ」にとって逆風なのかもしれないけれど、必ずしも「陰キャ」にとって良いことばかりではないということだ。
溢れたMPがどうなるか……それを私は、身を以て体験している。
他者との会話は消費MPが大きいため、仕事を除けば、よほど楽しみな出来事が待っていない限り休日も引きこもり一択だった私にとって、まさに信じがたいことなのだが……持てる最大値を超えた分のMPが、その使い道を求めて体内で暴れている。
なんでもいいから、コミュニケーションを取ってバランスを確保しなければ。そう言わんばかりの勢いで、私の心は対人関係でしか得られない刺激を欲してしまっているのだ。

もちろん孤独であることが苦痛になることはまったくないので、今のところは現状維持に努めていても、ストレスを感じることはないだろう。
しかし、これまでの人生でMPが溢れてしまうなんて経験をしたことがなかったので、かつて忌避しがちだった行為を心が求めているということに気づいた時、少々驚いてしまった。
まぁ残念ながら、気軽に遊びに誘えるような友人を持っていないため、その欲求が満たされる希望はほとんどないわけだが。

 

主に情報源はTwitterなので多少の偏りがあるかもしれないけれど、このところ目にするいくつかのニュースについては、批判よりも同情が先に出てくることが増えてきた。
極めて陰の者である私でさえ経験のない異常を感じているのだから、普通の感覚・感性を持っている人や、ましてや陽の者は、いつ煮えたぎる欲望が爆発してもおかしな話ではない。

ひょっとしたら、生存本能から性格が変わってしまった人間もいるのだろうか、などと思うこともある。
もともと人と関わるのが大好きだったけれど、誰とも会えなくなって、そのストレスから心を守るためにコミュケーション欲求を捨てて陰の特性を手に入れた人。あるいは自然に慣れてしまって、以前ほど誰かと付き合おうと考えなくなった人。
逆に、陰寄りではあったけれどある程度の人付き合いも好きだったために、抑圧された反動で陽の性質に転じてしまい、余計に懊悩することになっている人もいるのだろうか。

個人的には以前の生活に完全に戻ることはないと思っているけれど、この状態を永遠に続けられるとも考えにくいので、そろそろ折衷の景色を模索していけるようになっていけばいいなぁと思っている。