K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

人間強度

よく言われる話だが、友人や恋人や家族など、親密に関わる人の数が多いほど人間強度が下がるという現象がある。
人間は社会的動物であり、他人の協力なしには生きられない……というのが本質ではあるけれど、発達した世の中においては、基本的には成人以上の年齢であれば一人で生きていくことは可能だ。
もちろん生活を維持するためには誰かの力を借りる必要があるけれど、そのほとんどは金銭の対価として受け取る間接的な働きに過ぎない。

 

そういう意味において、今の私はまさに一人で生きている。
一緒に遊ぶ友人はおらず、日常的に連絡を取り合ったり、仕事をしたりする相手もいない。
寝食に限らず、生活上のあらゆる動作を自らの思い通りに実行していて、誰かのために何かをすることも、他者から制限を受けることもない。
実家に帰れば家族はいるものの、それ以外のタイミングに言葉を発することは滅多にない。せいぜい、荷物の受け取りや買い出しに行った際の機械的なやり取りくらいのもので、もはや社会的動物としての機能を失いつつあるような気さえする。

かつて、年に何度か会って遊んでいた友人は存在したが、対人接触が忌避される社会になってしまった以上は難しくなった。
友人には他の友人たちがいて、その中でも私は決して優先的に選ばれる対象ではない。良くも悪くも変人であるがゆえに、気軽に誘いづらいのだろう。
心から親しいと言える相手を思い浮かべようとしたけれど、無理だった。いつだって二番手以降。補欠要員。こういう状況になれば、あらゆる人間関係が断絶してしまうというのは、実は予想できていた。
プライベートな対人コミュニケーションにおいて、極端に消極的な性格である私から誰かを誘うことは絶対にない。本来ならば徐々に減少していくはずだった友人関係が、この二年ほどで一気に消滅してしまったかのような錯覚に陥る。
誰だって、より親しい相手との関係維持に努めようとする。当然の話だった。

私には恋人がいたことがないから、特別に寂しいという感覚はない。
学生時代から常に異性の温もりと共に生きてきた人間は、ひょっとすると会いづらくなった社会は苦痛なのかもしれない。頭では理解できないこともないけれど、感覚は追いつかない。
今まで恋人のいなかった人間に彼氏・彼女が出来ると、途端に隙だらけになるという。そんな自分の未来は存在しないものと思っているから、わざわざ想定する意味なんてないが、私の場合は求めるよりは急速に冷めてしまうような気がする。
面倒を避ける。今まで生きてきた通りに、自分だけの空間に浸っていたほうが圧倒的に気が楽だ。
私が世間一般の普遍的な感覚から逸脱しているのは明らかであり、そんなことは随分と前から自覚していることなので、いまさら何を語ろうとも思わないけれど……やはり関係の増えすぎた人間は弱点が多くて脆いと思う。

 

そういえば、何度か書いている某案件について、少しばかり進捗があった。
厳密には「一切の進捗がないことがわかった」のだけれど、どうやらまだ待たなければならないらしい。
前回、先方が提示してきた見込みの時期はとっくに過ぎていて、もう何度目か知らないが約束は破られ続ける一方なので、ここから大きな期待なんてできるはずもない。
信用とはそういうもので、既に廃墟同然に崩れ去っている感じだから、むしろこちらとしても配慮する必要を感じなくて、半年ほど前と比べたら非常に負担が少ないからありがたい。

ここから立て直すには、新しく積み上げてもらう以外にはないのだけれど、相手のスタンスが非常識極まりないのだから、たとえば今年中にどうにかする、なんていうのは不可能に近いだろう。
まぁ完全に破綻しても不思議ではないし、来年のどこかで軌道に乗れたら儲けものくらいに考えておこう。