K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

参った

なんでもない平穏な日常に変化が訪れるとしたら、その多くは外部から唐突にもたらされるものだ。
そもそも自主的に行う活動であれば、たいていの変化は予想の範疇に収まる。不意に感情を揺さぶられたり、慌ただしく右往左往したりすることなんて滅多にない。
あまりにも慣れていた。外から邪魔が入らない快適な生活に。だから私が、今回の出来事に関して迅速に好ましい動きができなかったことに不思議はない。

 

ある物事に向かう時に、私の初動は非常に緩慢だ。好意的な見方をするなら、慎重とか落ち着いているとか、比較的クールな印象を与える形容が適当だろう。
事実、反射的に動いてしまって致命的なミスを犯してしまった……なんていう失敗談は記憶から引っ張り出すことが難しいし、ひょっとしたらプライベートの領域ではいくらでもあるかもしれないが、少なくとも公共の場では意図せず冷静を装ってしまうのだ。
まず、入ってくる情報を受け止めて、考える。無駄に時間を費やして、答えが出ないまま状況を放置するのだ。これは、まるでゲームにおいて、選択肢が表示された状態から先に進めないようなものであり、しかしながら現実には時間の経過という事象が絶対的に発生するため、最終的に至る結果は最も選びたくない最悪のパターンであることが少なくない。
まぁほとんどのケースにおいては、機転を利かせることでギリギリ間に合わないこともないのだけれど、自力では覆せないイベントも人生にはいくつか存在している。

連絡を受け取ったのは、正午を少し過ぎた頃だった。
常にスマホは手元に置いているから、LINEの通知という個人的には珍しい出来事に気づくまでは、そう長い時間を必要としない。頻度は月に一度くらい、割合は家族が大半でたまに友人といった感じだが、内容に返答の即時性が求められることは少ないため、基本的に数時間は未読無視してしまう。周到に、機内モードに設定してから既読を付けないように確認だけして、じっくり文面を熟慮した上で返信する。これがお決まりの流れだ。
ただ、今日のそれは無視していいものではなかった。見たらすぐに、アクションを起こすべきだったのだ。

人間というのは環境の変化に弱い。流石に主語が大きいかもしれないが、私は常に新しい刺激を求める反面、腰を据えて取り組めないストレスには弱いという自覚がある。
慣れたら大丈夫なのかもしれないけれど、休まる暇を作らず頭を活性化させなければならない状況というのは、長い目で見るとデメリットが多いように感じる。
だから、一定の安定した流れを把握できたら、特に工夫が要求されない限り次から同じように行動しがちだ。そうして人は、ルーティーンに支配される。
自らが望んだわけでもないのに平凡な日常が破壊される可能性がある予兆には、どうしても敏感になってしまうらしい。無意識のうちに、届いたメッセージから目を逸らしていた。

 

先週末から継続していた規則正しい生活は、今日もその連絡があるまでは維持できていた。
しかし、ちょっとした心理の変化、心の揺れによって心身の具合は変わってくる。これもまた唐突に、急激に、私は眠気に屈することとなった。
絶対に負けては駄目だと経験でわかっていた、夕方の布団。気づいた時にはとっくに日が暮れていて、そしてLINEには応答を求める通知が断続的に入っていた。

気怠さに抗いながら身を起こし、送られてきた文章を頭に取り入れていく。今度こそ、心中に焦りの感情が芽生えた。
客観的には致命的な失態ではあったが、どうやら辛うじて窮地を脱する余地が残っているらしかった。
今度も数分間の思考時間は作ったものの、昼間とは異なる臨機応変さが求められる。流石に既読を付けて、返事を試みた。

まだ、これから先の数日がどのように動いていくのか予想ができないけれど、確実に言えるのは、週末に想定していたささやかな自由時間が残念ながら奪われてしまうということだ。
日曜日の競馬には間に合いそうではあるが、明後日までに行われる某ゲームのイベントのラウンド2には力が入れられなくなってしまうだろう。
決勝登録も直前の追い込みができず機械的に行うことになるたろうし、初めての敗退も有り得る。
いつもPCで、イベント部分は録画しながらプレイしているだけあって、出先からスマホiPadでポチポチ消化していくのは気が進まない。

すっかり生活リズム再崩壊のルートに入ってしまって、今夜はなかなか眠れる気がしない。けれど明日は急用が入ったから、寝ているわけにはいかない。
ある程度の我慢は許容できるにしても、こうい突発的な対応に不向きな性格なのは、やはり社会への適合度が著しく低いことを示している。
久しぶりに複数の人間とのコミュニケーションが確定する場に出ていかなければならなくなって、自らの弱点を突きつけられる私だった。