K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

遠征の果て

長いようで短かった突発的な旅行は、惜しまれつつも今日で終わりを迎える。嫌々ながら家を飛び出した私であったけれど、いざ日常が目の前に近づいていることを悟ると、多少の心残りを覚えるものだ。
数日前に受けた、あまりにも想定外の連絡には戸惑いを感じた。臨機応変な対応力が求められる展開だったが、愚鈍な私は望ましい初動を見せることがてきず、ギリギリのところで生きていたと言っていい。
ひどく不機嫌なまま家を出た時と比べたら、今の心持ちは少しだけマシになっている気がする。

 

振り返ると、体力の代謝が激しい数日間だったように思う。
ずっと自宅に引きこもっていれば、食に関心のない私は食べる機会を減らしがちだ。外部から強要されず、好きなタイミングで栄養を摂取する。当然、動いていないのだから省エネで済むことが多く、うっかりしていると基礎代謝分すら忘れてしまうことも少なくない。
一方で、複数の人間と行動を共にして、慣れない土地を移動しまくるとなれば、話はまったく変わってくる。普段はありえない、外食ばかり。いつもの感覚では明らかにキャパオーバーの食べ物が、環境の作用か知らないが腹に収まっていく。朝から晩まで外で活動しているのだから、当たり前と言えば当たり前だ。気づかぬうちにエネルギーを使っているし、不足を補うために胃腸が受け入れる容量も増える。

日中の活動が連日のように予定されているから、生活リズムは狂いようがない。早起きして、健康的な食事と活動を実施すれば、夜は必然的に強めの眠気が発生する。
夜更しをする余裕なんて残っていない。夕飯後、ある程度リラックスができる状態になったら、もう布団の誘惑に抗う術はほとんど残されていないだろう。
旅先にありかちな寝具との相性の不一致などは特に気にならないくらいには自然に、睡眠不足になることなく早寝早起きが連日のように成立した。

初対面の人もたくさんいたが、もう一生会うことはないだろうと思っていた人間との再会もあった。
慣れない対人コミュニケーションは基本的にストレス優位ではあるけれど、非日常の刺激という貴重なモチベーションに支えられて、多少の不調は有耶無耶になっていた感が強い。
きっと家に着いたら死んだように眠ることになるだろうし、しばらくは疲労感が取れない可能性が高い。スポーツなどにおけるアドレナリンのようなもので、物事の最中にはセーブされている身体へのネガティブな要素が、一段落して一挙に解放される。
反動を受けて心身には大ダメージ、そして昨日までの私は死ぬ。

日記の更新時間には、もう家に着いている頃だろうか。これはちょうど手が空いている帰路に書いているのだが、まだ微妙にふわふわとした旅心地に包まれているから、肉体も精神も生きている。
あと少しの辛抱だと思う気持ちと同時に、できれば終わらない寸前のところで踏みとどまってほしいという奇妙な想いも滲み出てきている。
明後日か明々後日になれば、数日前の何事もなかった元通りの生活を取り戻すことができるだろうか。

 

ときおり私には、日常の行動パターンが大きく変わるタイミングがある。それは寝起きの時間といった生理的な欲求に左右されるものではなくて、可処分時間の使い方に影響を与えるようなものだ。
急な思いつきで変化することもあれば、計画的に移行することもある。あるいは、外的要因により自覚なく変異することも珍しくない。

思いつきの場合は、数日から数週間は続くけれど飽きて元に戻ることも多い。計画するケースでは、引っ越しのように環境が丸ごと変わるのであれば適応できるけれど、実現する前に頓挫することも多くて成功率は高くない。
そういうわけで、私の人生を大きく動かす中心的な原因は、いつだって外側の世界からやってくる。
それがフィクションのように、異世界に飛ばされるとか、思いもよらない劇的な出会いが起こるとか、ドラマチックなものであれば面白いのだろうが、大半は何気ないイベントの発生によってもたらされるものだ。
義務教育、受験、大学卒業から就職までの流れはその最たるものだが、そうした路線から外れた私にとって最も影響力が高いのは、既存の価値観が良くも悪くも破壊される事象に出会うことだろう。
前回は2019年頃に起こった。そして今回の出来事は、感覚的にはそれに近いものがある。

運命がどのように転がるのか、現時点では予想もつかないけれど、ややマンネリ化しつつあった私の生活に何かしらの革命が生まれる芽が出来たと思えば、少なくとも以前よりは毎日の私に期待して生きていけるようになるかもしれない。
端的にまとめると、そうした大きな心変わりを引き起こしかねない何かが、この数日の間にあったということになる。
まぁ具体例を避けて日記にすると抽象的すぎて仕方ないが、このように言語化することで、経験した事柄が確かな記憶として印象付けられるように思った。