K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

空腹の表現

私の発想が斜めを向いているということなのかもしれないが、ある日本語表現が昔から理解できなかった。
いわゆる「お腹と背中がくっつく」という言い回しで、あまりにも腹が凹みすぎて腹部が背中に近づいて同化しそうになるようなイメージらしい。
幼い頃の私は、これを上手く解釈できなかった。そしてこんな表現を耳にして考える機会があるのは幼少期に限られるから、確か中学か高校か、あるいはそれ以上の年齢になっても正しい形で捉えることができていなかったように思う。理屈を把握した今でも、違和感がないと言えば嘘になる。

 

私にとって、「お腹」というのは目に見える腹部のことを指す。もちろん腹を下した時は内臓たる「お腹」を意識せざるを得ないけれど、一般的に「お腹」という音から想起されるのは、およそ臍を中心とした腹……人間の外見的な特徴が圧倒的優位に立つ。
だって、いきなり小腸や大腸を思い浮かべる人なんて、ほとんどいないだろう。くっつく先は、内部ではなく外部にあると考えてしまうのだ。

私にとって、「背中」というのは目に見える背部のことを指す。腹よりもさらに中身について日常的に意識することは少なく、きっと十人に尋ねれば十人とも外から見た背中の形を思い浮かべるに違いない。
真ん中に背骨の筋が通り、ところどころ骨と筋肉によって隆起している。間違いなく、あの見慣れた背中だ。

さて、以前の私がどう勘違いしていたのか、なかなか具体的に説明するのは難しいのだが、要するに接点は外部にあるということだけ考えれば、私の思考に近づくことができるだろう。
顔を下に向けて視界に入ってくる、この「お腹」が、どうやったら背中と「くっつく」のか……背中は鏡を使わないと見えないし、手を使っても届きにくい場所があるから、動かすのは困難だろう。主体は腹で、背中が目的地だ。
よく私が疑問に感じていたのは、右と左どちらなのか、ということだった。まさか頭上や股下を通るわけがないだろうし、いずれにせよ奇妙な現象でしかないのだけれど、仮に「くっつく」のだとしたら、この腹は左右どちらを通って背中へと向かうのか。
いやはや、意味がわからない。

 

今は食生活の影響で、特に寝起き直後には盛大に腹が凹んでいることが珍しくない。ぺったんこどころではない、クレーター状の腹部が空腹と重力によって出来上がる。
ただ、いくら腹が減っていても、それを見て背中とくっつきそうだ、なんて考えには決して至らないのだ。どれだけ腹が凹んでも、内臓のスペースが極限まで小さくなったとしても、私は腹や背中の内側を腹や背中だと認識することができない。
くっつくのはいつだって、外部を経由しなければ……そして生きた人間である以上ありえない想定なのだから、「お腹と背中がくっつく」と表現した例の歌詞は、本当に意味がわからなかった。

ああ、内側の話なのか。
それを理解したのは成人してからだったように思うけれど、だからといって長年の認識が変化することはない。
私は一生、この表現に納得することはないだろう。