K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

濁る視界

気のせいなのか、実際に異常が起きているのか、明確に比較することは不可能だから確かなことは言えないけれど、このところずっと目の調子が悪いような感覚がある。
上手く言語化できないのだが、とにかく若干の霞がかかったような世界の見え方をしていて、もちろんこれは決して気分の良いものではない。
視力が落ちているとか、視界が狭くなっているような感じではなく、濁ったコンタクトを装着しているような違和感だ。いったい、なんなのだろう。

 

調べてみると、白内障だとか、ぶどう膜炎だとか、何やら深刻そうな症状がヒットする。
確かに、一日中PCの目の前にいて、モニターの光を浴びているのだから、目に負担をかけていないと言ったら嘘になる。
ただ、この程度なら一般的な会社で働いている人間の平均的な範疇を逸脱してはいないだろう。負担に対する強弱は個人差があれど、曲がりなりにもこれまで健康体を維持して生きてきているのだから、よりストレスの少ない今の生活で急激に眼球が弱るとは考えにくい。

目のパフォーマンスが低下するのは、起床から時間が経ったタイミングが多い。
たとえば朝から活動している日に、昼の時点で駄目になるということも稀にあるけれど、多くは太陽が沈んでしばらく経ち、就寝予定時刻が近づいてきた頃に視界がおかしくなる。
眼精疲労なのかドライアイなのか、しっかり目を見開いているはずなのに、まるで夢の中にいるようなフワフワとした光景が広がる。
こうなっても極端に思考力が落ちているわけではないから、眠気に原因を求めるのは難しい。
脳の作用というよりは、眼球というパーツ自体に問題が生じていると考えたほうが、自然な気がした。

こういう風に身体的異常を検知するようになったのは、なんだか相応に年齢を重ねてきた証のように思う。
それは別に嬉しいことではないけれど、普段は逸脱者として「普通」の理解に苦しむ私も、物理的な存在としてはただの人間に過ぎないのだと思わされるのだ。
それにしても、大衆にとって都合の良いパターンには適合できないことが多いというのに、ネガティブな事象は例外なく味わわされる。生まれこそ恵まれた感が強いけれど、その後は本当に損の多い人生のように感じてしまって、つくづく継続的に運の良い人間を羨ましく思う。
私は、私にとって都合が良い出来事との縁に恵まれない。ほとんどの選択が裏目に出る。動かないほうがマシというレベルで、なるべく損を避けようとしてきたら、いつの間にか消極性がカンストして何もできなくなっていた。

 

いったい何を間違えたら目の不調の話題から人生のマイナス面について語る方向へと進んだのか自分でも把握していないが、今日の日記は低確率で発生する、推敲なしで勢いのまま書くパターンということで納得することにしよう。
視界がぼやけてきたら、眠ればいい。睡眠を取ることで、一時的ではあるけれど問題が解決することは経験済みだし、発生条件と解除条件が判明している以上は病気なんかではないと思っている。

ふむ、妙な話だ。
好きなだけ惰眠を貪り、日中は滅多に外出せず体力を温存しているというのに、夜になるとしっかり疲れるなんて。
ゲーム的に捉えるなら、きっと体力の最大値は小学生の頃を下回っていることだろう。