K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

格闘技が嫌い

なんの捻りもなくタイトル通りなのだが、私は格闘技というものが心から好きになれない。
もちろん、それを生業としている人間や、興行として楽しみに見ている人間を否定するつもりは毛頭なく、ただ私がその良さを理解できないというだけの話だ。
夕方頃にTwitterを開くと、競馬を除けば某格闘技の話題が目立っていたので、たまには「好きなもの」だけでなく「嫌いなもの」についても書いておこうと思った。

 

昔から不思議で仕方なかった。
これが人間の本質的な趣味なのか、日本人に顕著な性質なのかは知らないけれど……感覚的に言えば、一般的な日本人というのは結構、格闘技が好きなのではないかと思う。
年末には毎年のように誰かと誰かが戦っているし、今日のように大きな試合があれば、まるで国民的行事かのような盛り上がりを見せる。
単純に疑問なのだ。人間同士が殴り合っているのを見ていて、何がそんなに面白いのだろう。

格闘技を、厳格なルールに則って行われるスポーツとして捉えるなら、まぁ他の競技と等しい見方も可能かもしれないが、一方で現実的には暴力要素が多分に含まれている……というより、ほとんど全部が暴力で成り立っていると言っても過言ではないだろう。
だって、勝つための手段が、基本的には殴ることしかないのだから。
効率的に相手をダウンさせるための技術であったり、試合中の複雑な駆け引きであったり、素人には理解の及ばない領域というのは存在しているとは思う。それが好きだ、それが面白いと考える人間の思考を覆すことは、まず不可能だ。
それでも、暴力が嫌いな私からすれば、概ね不愉快なやり取りで構成されている近寄りがたい競技としか思えないのだ。

試合によっては、選手の顔が歪み、出血することもある。顔の骨を骨折したり、あるいは脳震盪などで気絶を引き起こしたりするわけで、身体に生じている「異常」は交通事故に遭うのと大差ない。
そうなっても大丈夫なように、選手は普段から身体を鍛えているのだろうが、私はそれを見ていて決して愉快に思うことはないし、どう考えても人間が人間を痛めつけているシーンというのは、それがフィクションでない限り胸糞悪い光景でしかないのだ。
過去に知り合った人間の中にも、格闘技について嬉々として語る趣味の合わないやつがいた。わざわざ面と向かって、上に書いたような疑問や感想をぶつけることはしないけれど、少なくとも仲良くはなることはないだろうと思った。
私は暴力が嫌いなのだ。

創作の世界においては、秩序や倫理観が逆転する。いくらでも人は死ぬべきだし、どれだけグロテスクであっても、ショッキングな映像が展開されても、見ている私はポジティブな反応で歓迎する余地を作れる。
それは純粋に、リアルでは拒絶反応が出る現象だからこそ、心を奮わせるのだ。興奮するのだ。
絶対に現実ではない、現実にあってはならない。だからこそ。

 

アニメやドラマで残虐な描写があったとしても、それに影響を受けて他者に害をもたらすという表現規制に繋がりかねない事象は、私の観測範囲においては少ないように感じた。
まだ物事の分別がつかない幼少期に限って言えば、「ごっこ遊び」として戦闘の形式を取ることはあったかもしれないけれど、それが命に関わるほど大きな問題となることは珍しい。
物心がついて常識を身につけた人間は、そう簡単に現実とフィクションの区別を見誤らないからだ。

他方で、格闘技は現実に行われている。行われてしまっている。
映像は本物であり、フィクションではない。フィクションでないということは……格闘技を模倣することが、「異常」だとは見做されない場合があるということだ。
とりわけ、精神が未熟な男子に特有の攻撃性が落ち着いてくるのは思春期半ば以降であることが多いであろうから、たとえば小学校や中学校の段階では、格闘技の真似が少なからず生じているのではないかと思う。
相対的に体格に恵まれていて腕力のある「クソガキ」は、弱い相手に試したくなるのだろう。無意識のうちに、いじめの構図が出来上がってもおかしくないと私は考えている。

これは極論だし、だから格闘技を禁止しろという話でもないけれど、とはいえ現実に暴力要素を孕む営みが興行として大々的に栄えている事実に、私はどうしてもネガティブな気持ちにならざるを得ないのだ。
格闘技で金を貰っている人間や、金を払って格闘技を楽しんでいる人間がいるのは、もう世の中がそういう風に出来ているから仕方ないと許容するしかないけれど……私個人の感情としては受け入れがたく、今後も格闘技に好感を抱くことはないと思う。