K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

睡眠の無限ループ

食事を蔑ろにしていると、当然のことながら身体を活発に動かすための燃料が不足することになる。
その最も簡単な解決方法は食べること…なのだが、あまりにも欠乏状態が常態化してしまうと、食事に向かう気力すら滅多に湧いてこないという事態に陥りかねない。
目を覚まして、起き上がる力が出ず、再び眠りに落ちる。睡眠不足というよりは、なるべくエネルギーの消耗が少ない行動を取るように身体が仕向けられているような感じで、とうとう睡眠の輪廻に閉じ込められてしまうのだ。

 

今の私は、ほとんどこれに近い状態と言ってもいいだろう。
少し奮起すれば、もちろん身体を起こすことは可能だ。病気でもない健康な若者が急激に寝たきりになることなんてないので、たとえば眠るのに飽きたり、トイレに行きたくなったりすれば布団から這い出ることはある。
しかしながら、身体全体に生じている一種の「波」について考えてみると、まさに省エネを突き詰めた結果としての睡眠志向が顕在化しているようにしか思えなかった。

起きていると様々な情報を取り入れることになるし、脳が思考のためにエネルギーを使うため、自分が思っている以上に体力の消耗が大きい。
普通に定期的な食事を摂っていれば気づかないレベルではあるのだが、食間24時間に近い生活を意図せず連日のように続けてしまうと、どうやら肉体は危機感を覚えるらしい。
絶対的な栄養不足……身体を守るためには、消耗の大きな行動を避ける必要がある。意識を現実から隔絶し、全身を休眠させることで、どうにか生命維持に努めようとする本能的な働きが私の内部で発生したのではないかと思う。

今日は、午前中に目を覚ましたのだけれど、決して早い時間ではなかった。寝起きに食事を摂ったのだが、食べ終えたのはほとんど正午に近い時刻だった。
それから数時間が経過して、夕方になるかどうかというタイミングで、既に体力が活動限界に匹敵する程度まで減少していることを察知する。たった数時間、起きていただけなのに。
ただ、起床と食事の時間から考えると、これは昼寝を欲する挙動に近いものがある。30分前後の仮眠で済めば、まったく問題ないはずだった。

途中、何度か目を覚ました記憶がある。何時だろうとスマホの画面を確認したことも覚えている。
しかし、そのいずれにおいても身体を起こすには至らなかった。間隔としては1時間か2時間ほど、浅い眠りを重ねたようなもので、体力の回復に効率的な熟睡とは程遠い、質の低い睡眠だったに違いない。
仕方ないのだ。だって、睡眠不足ではないのだから。むしろ、眠り自体は足りているのだから。この睡眠はあくまでも、省エネのための時間稼ぎに過ぎない。

このまま朝までベッドに転がったままでも構わない……そんな甘えた思考が脳を支配し始めた。
実際、他の日であれば眠ったままだったかもしれない。どうにも、私は睡眠が絡んでくると意志が弱くなってしまう。
けれど、今夜は習慣にしている散歩を予定していた。ただでさえ天候や生活リズムを理由にパスしがちなのに、条件が悪くない日に怠けているわけにはいかないだろう。
きっかけがなければ、起き上がることさえままならない。そういうレベルで私の身体は衰弱していたし、これを書いている今でも元気があるとはお世辞にも言えない状態だ。
とりあえず最低限の動きができるように、半日以上ぶりにエネルギーを補給した。私の散歩は激しい運動になるが、道中で倒れることがないように、今夜はペースを上げすぎないよう気をつけたい。

 

ところで、睡眠と食事を除いた活動時間について計算してみると、ここ最近は半日である12時間にも届いていないのではないかという疑惑が出てきた。
平均的な日本人は、おそらく両者を合わせて8時間から9時間前後であり、少なくとも一日に15時間程度は身体を動かせる猶予があるはずだ。
それと比べると、食事の優先度を最低まで落とした結果、一日に数時間の損失を作っているということになりはしないだろうか。
ここで時間を食いつぶしている睡眠は、身体を休めるためのものではない。エネルギーの消耗を抑えるための、時間をやり過ごす手段でしかないのだから。

考えれば考えるほど、もったいないという想いが強くなってきた。
すぐに食生活が改善するとは思えないが、せめて半年前や一年前くらいの、まともに活動時間を確保できていた頃の水準に戻れるくらいには、努力したほうがいいのかもしれない。