K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

秋の本格化

昨日までは最高気温が20℃台の後半まで上がることが珍しくなく、日中は短時間ながらエアコンの稼働を検討することもあったのだけれど、今日は降雨の影響か随分と涼しさを感じる一日だったように思う。
気象に関する知識はないので、詳しいことは知らない。ただ、直感的に残暑が終わったのだと感じた。これから秋が深まり、徐々に季節は冬へと移っていくのだろうと。
毎年のことだが、この時季はふと、寂しさを覚える。

 

涼しいのは嫌いではない。
寝心地は最高だし、春とは違って秋はスギ花粉がないから体調は良好になりやすく、一年のうちで最も物事に対するモチベーションが上がりやすい傾向にある。
問題があるとすれば、あまりにも短いこと。この一点だろう。

体質的な理由もあって、夏と冬どちらかを選べと言われたら、私は迷うことなく夏を選択する。
一般的には、きっと冬のほうが多数派な気がしているけれど、それは暑さと寒さに対する耐性の差が出ているだけだろう。私は暑い環境よりも、寒い環境に極端に弱い。本当に冬というのは、考えるだけで気が滅入る。
だから、冬へと向かっていく秋という季節が、夏へと向かっていく春という季節よりも短いことには不満を覚えるのだ。
もう少し、この快適な気候を楽しみたいのに。あっという間に、凍えるような空気が私を襲うようになる。

◯◯の秋という言葉が、よく使われる。適当に、意欲が刺激される行為を当てはめて秋という季節が如何に素晴らしいかを語っているわけだけれど、実際のところは熱中する暇もなく冬が訪れることが多いわけだから、考えれば考えるほど虚しくなりがちだ。
本当に熱意をもって取り組む行為なら、季節の助けなどなく、オールシーズンに対応できるようにしたほうがいい。
そういうわけで、私は秋だからこそ何かがしたい、という考えは特に抱いていない。
むしろ問題にしたいのは、秋だからこそ、できなくなる……そういう可能性を考慮しなければならないところだ。

経験則から、秋の性質を振り返ってみる。
パッと思い浮かぶのは比較的過ごしやすい気候イメージなのだけれど、一方で台風や連日の雨というのも秋の特徴のように思う。
夏になる手前、春の後半にも梅雨という不愉快な時季が存在しているけれど、その秋バージョンといった感じで、冬に突入する手前に天候が崩れるということが珍しくない。
多少の雨なら構わないが、年によっては月の半分くらい雨に覆われることもあるため、近年では昔のイメージとは違って、秋にもネガティブな感覚に陥りやすくなった。
雨の日は買い出しを控えたいし、散歩に出ることもできない。次第に下がっていく気温と併せて、ますます引きこもりに拍車がかかるのだ。
困ったことに、配送業者によっては雨の日は置き配をしてくれないらしいから、通販で荷物を注文するのにも抵抗感が生まれる。
気圧の関係か、薄暗い天候のせいか、寝不足でもないのに視界がぼんやりして頭の中がスッキリしない日が少なからずあるし、快晴に恵まれた過ごしやすい最高の秋の日というのは、年間で数日しか存在しないくらいレアなのではないだろうか。

 

余談だが、まさしく上に書いた配送の問題が今日の夕方に発生した。
配達員と対面するのが嫌だから、最近は置き配オンリーの私なのだが、雨のせいか遅延があったようで、指定した時間に持ってきてもらうことができなかった。
まぁずっと在宅なのだから、多少の時間のズレは問題ない。ただ、私は置き配でなければ駄目なのだ。雨だから手渡し、となると応じることができない。
やや遅れて到着した荷物に、私は応えなかった。インターフォンは鳴ったが、何がなんでも人前に出ていくことはできない。無視した結果、荷物は持ち帰りとなり、注文した品を手に入れることができなくなった。
見方によっては私の頭がおかしくて、配達員に余計な手間と迷惑をかけているということになるだろう。確かに、商品が濡れたことによるトラブルが生じるリスクを想像すると、持ち帰りの選択は正解に思える。きっと、そういうマニュアルになっているのだ。
それでも、対面は無理だ。置いておいてくれないと。

明日の予報も微妙で、もしかしたら雨が降るかもしれない。しかし、確実に晴れる日まで待っていたら、いつになるかわからない。
時間は今日と同じく夕方に指定し、しっかり置き配してもらうよう設定した。
貴重な水資源ではあるから、雨というのは人類に欠かせない自然のシステムではあるのだけれど、一個人の都合で断ずるなら、やはり雨なんて何ひとつ良いことがない。
もし明日も、不運にも配達時に雨が降っていたら、今度は流石に申し訳ないからインターフォンには応じて、濡れてもいいからと置いてもらおう。