K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

例のAIについて

数日前から話題となり、一部の界隈では賛否両論となりながらも、おそらく確実に将来的な物事の価値観に影響を及ぼすと思われる、AIによって出力されるアート群……私も無関心ではいられないので軽く目を通してみたのだが、これはある種の産業革命に近い転換点に直面しているのかもしれない、と思った。
是非については人それぞれだろうが、個人的には今のところ、なるべく感情をフラットにして動向を注視していきたい。

 

先月だったか、先々月だったか、類似する騒動がTwitterを中心に巻き起こったのは記憶に新しい。
要点を単純化すると、誰でも手軽にプロのイラストレーターが手掛ける仕事、そのアウトプットに近いものを生み出せてしまう可能性があるため、絵を描くことを生業とすることの意義が問われる状況になりつつある……そんなところだろう。
一般的に、素晴らしいと評価されるイラストを仕上げるためには莫大な時間と労力を要する。それは、その一枚の絵を完成させることに留まらない。絵を描く、その技術の習得にも果てしない研鑽の積み重ねが必要であり、一朝一夕に到達できる領域ではないのだ。
過去に機械化された様々な事象が経験してきたのと同様に、今回のようなAIを使った出力は、そのプロセスに求められる手間を一気に短縮することができる。よく見ると人の心は通っていないし、温もりは感じにくいところがあるけれど、とりわけ瞬間的な印象の影響が少なくないイラストという分野に関して言えば、カジュアルな意味では見分けるのが困難という側面を否定することはできないだろう。
商業レベルかどうかは置いておいて、従来ならば普通に金を取れそうな水準のイラストが、有象無象のユーザーからポンポン出てくるかもしれない。技術の進歩自体は喜ばしいことのはずなのに、その一方で恐ろしい事態になったと思わずにはいられない私がいる。

まず、各所で指摘されているように、本件には致命的な問題点がある。
AIの学習リソースが、海外の無断転載サイトであるというところだ。ネット上にアップロードした時点で、NFTでもなければ、その権利を完全に守ることは難しい……とはいえ、単なるイラストのトレースとは異なり、データのまとまりとして大量の絵を取り込んでしまっているわけだから、対策も難しい。見方によっては悪質な盗作とも取れるものの、正義はどこにあるのやら。
実際、出力された絵を見てみると、どこかで見たことのあるような絵柄、特徴、構図が無数に含まれており、学習内容が優れすぎているあまり、オリジナリティを追求するのには不向きな面がある。
もちろん、人間が時間をかけて描くイラストだって既存の何かを参考にしているわけだし、それは絵に限らず、たとえば映画にしろ小説にしろ完全なオリジナルというのは不可能に近いとは思うのだが、AIのそれは特に傾向を掴みやすい気がするのだ。
よく出来ている。知らない人間が見たら、驚くほどのクオリティだ。ただ、目が肥えていくにつれ、そこには不満もとい満たされない渇きのような感覚が蓄積されていく一方なのではないかと私は感じている。

それにしても、時間をかけずに「そこそこの」絵を量産できるというのは、やはり脅威であると言うしかない。
細かいところを見ていくと、手の形がおかしかったり、名状しがたい謎の部分が散見されるところではあるが、中には違和感がほとんどないAIイラストも存在している。
人間が好む表現……つまり既存のイラストに多いパターンについては、教材が充実しているだけあって品質の高さを感じる。それも、まぁ既視感は強烈なのだけれど、インスタントに欲を満たす分には十分であると言えるだろう。

 

さて、これらが現時点でプロの仕事を脅かす存在になるかという話だが、まだ当分は大丈夫なのではないかと考えている。
というのも、AIというのはあくまで人間が活用するツールであって、自らの意思で動くフィクション世界の代物ではないからだ。
話題になっているAIは、既に現状で考え得る最高の理論値に近い学習を経験している。それでも、細かく見ていくと「AIっぽさ」を感じるところが多分に含まれていて、アーティスト気質の人間は、そういう些細な要素に不満を覚えるものだ。
ただ、完成度の高い枠組みから合成・出力しているため、技術面で劣る人間は激しく劣等感を覚えるかもしれない。自分が頑張って描かなくても、それ以上のものが簡単に出てきてしまう。努力してAIのラインを超えるところまで行くか、モチベーションを失うかは個人の選択ではあるけれど、心理的なハードルが将来的に上がり続けることは避けられないかもしれない。
それは業界として、というより人類として大きく危惧すべき点だろうと思う。

しかし、AIも悪いところばかりではない。
既存部品のキメラであり、ピンポイントで新しく表現したいものが生み出せるわけではないからこそ、まだ人間が活躍できる余地は無限に残されているし、むしろこれをチャンスと捉えることも可能なのだ。
たとえば構図、たとえば背景、たとえば着色、などなどAIが学習してきたのは、かつて腕の立つプロが残した作品に他ならないわけで、それは人間が再学習する素材としても一級品であるに違いない。
自力ではやや難しく思えた、イラスト技術における少し足りない部分を補って習得するための手助けとして、AIのアウトプットはピースを埋めるために役立つのではないだろうか。
「AIの絵」という意味では確かに爆発的な進歩を遂げたけれど、このAIが意思を持たない一般的なAIであり続ける以上は、それが頂きに立つということはない。
今のところは面白いから大きく話題になり、次々と出力を繰り返す人で溢れているけれど、次第に新鮮味が薄れていくだろう。
なんとなく見覚えのあるAIの絵。それで満たされるほど、人間の欲は浅いものではないはずだ。
そのうち「AI絵師」なんてものが出てくるだろうし、もう出てきている可能性も低くないけれど、一時的な小銭稼ぎはできたとしても、長続きするとは思えない。
私はそれよりも、絵を描く人間の一助となる存在としてAIを位置づけていきたいと思っている。AIに仕事を奪われるよりも、AIで仕事の質を高めていくほうが絶対に幸せだ。

ただ、世の中の潮流を個人の考えで動かすことはできないため、しばらくは世間の動きを見守って場合によっては立ち回りを変えていく必要もあるだろう。
もうAIの存在自体は否定できない段階に入っているだろうから、いずれにせよどこかのタイミングでAIの是非が決まり、取り扱いの「常識」が形成されていくはずだ。