K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

興味のない話

どうも詳しくは知らないのだが、ワールドカップなるイベントが開催中らしい。
昔から野球を除き、大衆スポーツには大して興味を示してこなかったものだから、一般的には積極的に話題にできるようなメジャーな出来事であったとしても、私にとっては到底、身近な事象とは思えないのだ。
唯一、テレビで観戦していた野球に関しても、直近数年はほとんど触れていないから、たとえば今年の日本シリーズもいつの間にか終わっていたくらいで……だからサッカーなんて、本当にわからない。

 

サッカーが好きな人を否定するつもりはない。プロのプレイを応援するにせよ、自分で身体を動かすにせよ、それぞれの自由な選択であり、自由な趣味だ。
しかし、主観的な意見を述べるとするならば、何が面白いのか理解できないし理解しようとも思えないという現状がある。
こういう主張をすると、視野が狭いだとか価値観が貧しいだとか、何かと私に問題があるように感じるサッカー好きの過激派がいるかもしれないが、実のところ、そうであっても構わないとさえ考えている。
一応、人生においてサッカーの試合をテレビで見た経験は何度かあるし、少ないながらも球蹴りに時間と体力を費やす機会がなかったわけではないから、一切の無知というわけではない。軽く触れてみて、そして魅力を感じることができなかったというだけなのだ。

なぜサッカーに興味が持てないのか、わざわざ分析するほどでもないのだけれど、野球は好きだと言える時期があったことから、両者の違いにヒントがありそうな気はする。
まず、試合を見ていて思うのは、野球は見どころが多くて盛り上がるポイントがわかりやすい点、一方でサッカーは退屈な時間が多く派手な試合になりにくい点、という特徴が真っ先に思い浮かんだ。
野球は、投手と打者の一対一の勝負が繰り返されるため、短い間隔で注目すべきシーンが切り替わっていく。試合の流れがわかりやすく、得点が期待できるタイミングが明確だ。あるいは無得点であっても、投手が打者を抑えるところに観戦する意義が生まれる。
サッカーは、広大なフィールドをボールが行ったり来たりするのを眺めているのみで、よほど実力差がない限りは膠着することが多い。上手くシュートに結びつく展開が生じたとしても失敗することばかりで、明らかに面白味を感じやすいのはPKの場面くらいのものだろう。
以上は多分に偏見を含む考え方ではあるけれど、完全に間違いとは言いきれない一面ではあると思っている。

さて、ここまでは野球とサッカーの違いから関心を抱きづらい原因を考えてきたけれど、そもそも私は国民的イベントに対して乗り気でないことが多いのだ。
オリンピック然り、世間が一定の盛り上がりを見せている様子を意に介さず、基本的には、ただ自分の好きなことにエネルギーを注ぐだけ。誰もが当たり前のように話している時事の事柄を、どうでもいいと切り捨ててしまう。
話題についていけない。共感できない。どうやら、ある種のコミュニケーションできないことに恐怖を覚える人間は、流行の話題に関与していない自らの姿を許せないらしいのだが、私の場合は常に自分本位であって、他者が何に興味を持っていようとも己の興味と合致するところがなければ無理に話を合わせる必要なんてないと考えているため、根本的に生きるスタンスが噛み合わないのだ。
内発的にエネルギーを向けることのできる趣味しか、それを本質的な娯楽として楽しむことができない。流行っているからという理由だけでは、私を動かすには不十分と言える。

 

今回はサッカーやワールドカップへの無関心に由来する、世間との感覚のズレを書いているけれど、結局のところこの性質は他のあらゆる出来事にも当てはまる。
大局的に見て私が世間知らずになりがちなのは、自らの内側に入れる情報を極端に絞っているからに他ならない。
でも仕方ないのだ。この情報化社会において、なんでもかんでも手を出そうとしていたら、頭の中から情報が横溢してしまって本当に集中したい対象を見逃しかねないのだから。
種々雑多な要素を他者との交流に添える形でインスタントな楽しみを得るための道具という風に捉えられるタイプの人間なら、別に気にしないのだろう。
私はそうではなく、どちらかと言えば一つひとつを大事に、ことごとく狭く深く突き進むスタイルなので、真逆を要求してくる一般の世の中とはどうにも相性が悪いようだ。