K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

読書家になれない

昨日、絵を上げられなかったのは、本文が長すぎるからではないのか、というセルフ突っ込みを受けた。まあ確かに、2000字前後となると内容によっては時間を取られるし、長続きもしないと思うので、今後は少し文章の量を減らして絵に充てたいところ。

集中モードに入ると、筆が乗るっていうのかな、際限がなくなってしまうものなんだよね。絵ならクオリティを追求して無限に描き続けられるし、文章は気づかないうちに膨大な量になっている。
あまりよろしくないと思うのは、それが習慣として根付いてしまうと、時間が確保できないときにも簡単に済ませることができず苦しむということ。中途半端でもなんでも、好きにすればいいのに。
そういう意味では、たまにはサッと読める程度で終わりにする日を意識的に作ったほうがいいのかもしれない。

 

本日の絵

20200514

まだ手に馴染んでない角度の練習。そのうち、全身ではなくパーツに限定して描く期間を作ろうかなと思ったり。
なんか、ここに貼ると拡大されて思っていたより線が太く見えるなぁ……

 

 

電車に乗って移動する時間というのは、日常生活において特に無駄だなぁという感覚が強い。それがなくなった現在の生活は、だから有意義に過ごせている気分になるのだけれど、一つ問題点がある。
読書ができない。
いや、読めばいいじゃないかと言われたらそれまでのことで情けない話であるが、家にいると家の環境でしかできないことに時間を割きがちだから、自然と読書の優先度は下がっていってしまう。
もともと読む速度は遅いほうなのだが、それでも毎月五冊程度は読めていたのに、今となっては月に一冊読めるかな、くらいのペース。
近頃は読むより書く時間のほうが長くなっているから、それはそれで悪いことではないと思うものの、読んでいたシリーズは定期的に出てしまうから、そのうち積読本の数がすごいことになりそうだと懸念している。

読書自体は好きなんだけれど、文章を書いたり絵を描いたり、あるいはゲームで遊んでいたりするときは、肉体疲労が限界を迎えなければ何時間でも集中力が続くというのに、読書は定期的に休憩を入れないとダメっていうのも、なかなか進まない一つの要因なんだよなぁと。
似たような話だとアニメや映画を観るときも、数時間で集中力が切れることが多いから、たぶん身体的性質としてコンテンツの受信制限的なものが存在しているに違いない。送信はほぼ無制限ということで。

 

実のところ、書くのはいいが読み返すのがダルいので、このブログの文章もところどころ日本語がおかしいんじゃないかという気がしている。後日、気が向いたら違和感のある箇所をこっそり直しているのはここだけの話だが、そもそも誰も閲覧していないというオチ。*1*2

*1:読者を想定していない日記だから別にいいんだけど、本記事投稿時点でアクセス数0らしい。

*2:むしろ逆にどんな人が見にくるんだ、という話でもある。