K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

生存記録(20240806)

一度スイッチが入ると止まらない、というのは私の特性のひとつだが、今日は珍しく「掃除」にエネルギーを注ぐ羽目になった。掃除という言葉が指す一般的な作業内容については知らないけれど、私にとっては年に数回の重労働でしかない。もちろん、週に一度の習慣といった形で定期的に周辺の整理整頓ができるなら、そのほうが労力の総量としては楽である可能性もあるけれど、日々次第に散らかっていく様子を特に不愉快だと感じることのないメンタルをしているので、どうしても日常的なレベルでは掃除のモチベーションに欠けるところがある。何か明確なきっかけがなければ、なかなか重い腰を上げられないのだ。
今回、私が掃除に向かったのは、昨日の卵を落とすという致命的なミスと、その影響によるところが大きい。疲れていたという単純な原因はあるものの、そもそも台所の作業スペースが狭くなりすぎていた。足の踏み場もない……という表現は人によっては過剰だと、大袈裟だと感じられるかもしれないが、実際のところほとんど文字通りだと言っていいくらいで、本当に窮屈な空間を作り出してしまっていた。空のペットボトルや牛乳パック、その他にも使用済みのプラ包装などが散乱している。ちゃんと洗っているため、これらが異臭を放つことはないものの、ゴミ出しという処理を怠っているせいで途轍もない物量になっている。
卵を落とした後、適切な対処はしたつもりだった。しかし、いくら拭き取って表面的にはきれいになったとしても、目に見えない雑菌の繁殖まで防ぐことは難しい。一晩が経過して「答え合わせを」した結果、床に散らかっているゴミの処理をせざる得ないということを自覚するに至ったのだった。どうにも臭う……飛び散った卵がどこに付着しているかわからないし、これは一気にまとめてしまってゴミに出すしかない。渋々ながら、動くしかなかった。
作業自体は簡単だ。ペットボトルはラベルを外してから潰し、プラ表示のあるものは袋に突っ込んでいく。牛乳パックだけは過去の経験上、苦労することが目に見えていたので気が進まなかったけれど、効率的な方法を調べてみたところ、包丁を使うといいというアイデアを手に入れた。普段は滅多に使わない包丁を久々に取り出して、試しに牛乳パックへ当ててみたところ……思いの外、さくさくスパッと処理することができた。ちまちまハサミで切っていくと1パックあたり1分は必要だったのに、包丁なら15秒もかからない。あまりにも画期的だ。大した力も不要で手が痛くなることもないし、溜まっていた牛乳パックが次々と平らになっていった。
まだ完全に掃除を終えたわけではないけれど、ひとまず臭いの要因となっていそうな大部分については処理が完了し、当分は困らないだけのスペースを確保することもできた。日頃から身の回りをきれいにしていればこんな苦労せずに済むのに……と思わないこともないが、一度に処理できる快感も決して悪いものではないため、この生き方が変わることは今後もないだろう。