K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

掃除という名の肉体労働

性格的な問題で身の回りの整理整頓を後回しにしがちなせいで、いつの間にか室内に足の踏み場がなくなっている……なんてことが珍しくない。普通の感覚を持っていたら気持ち悪くなって片付けてしまうであろうレベルの散らかり具合でも、まったく気にせずに過ごし続けるものだから不要な物体が徐々に積み重なっていくのだ。
ただ、最近は通路を埋め尽くしたゴミが障害物となり、流石にQOLを著しく下げるだけでなく生活に支障が出ていたため、撤去することにした。

 

前回この空間をきれいにしたのは、いつだったか。思い出せなかったので、このブログを検索してみたのだけれど、ちゃんと記録していたとするならば、7/27が最後だった。
しかし、夏に実施した掃除の内容は主に可燃物を取りまとめて掃除機をかける程度だったはずで、それ以外、つまり可燃物を除くゴミに関しては臭いが出ないからという理由で放置していた記憶がある。実際、夏よりも前に空になったペットボトルや牛乳パックが山積みになっていた。
さらに日記を遡ると、ちょうど七か月前の4/23の記事でプラスチック系のゴミに着手したという話が書かれていた。
ああ、だいたいこれくらいだ。目の前に積み上がった膨大な数のゴミをざっくり見積もると、それくらいの期間は過ごしていることになるはずだし、体感とも合っている。

まずはペットボトルから処理していった。最も数が多く、スペースを取っている。
一つひとつラベルを剥がし、大きなゴミ袋に入れていく。裸のペットボトルを潰して、さらに潰して、次々と潰していく。室内にはバキバキバキ……とペットボトルがひしゃげる音が響き渡る。好きな音ではないけれど、我慢しなければならない。
あっという間にゴミ袋は一杯になってしまった。手は疲れてきているが、まだ半分も進んでいない。次の袋を取り出して、再びペットボトルを潰し始める。
いちいち数えてはいなかったけれど、一枚のゴミ袋に30本から40本程度のペットボトルが入るため、おおよそ150本近くは潰したことになるだろうか。
普段、あまり水分を積極的に摂取するほうではないとはいえ、お茶とコーヒーと野菜ジュースの定期的な消費量から算出すると、一週間で4,5本は空になる。そういう意味でもまた、前回からの間隔と計算が合うことになるから、やはり室内に溜まった雑多なゴミはいずれも春からのものだと考えてよさそうだ。

ペットボトルの次は、牛乳パックの処理に取りかかった。
こちらはハサミを使って解体する作業がメインになるけれど、一番の問題は牛乳パックがなかなかの強度を備えていることで、一度にいくつも切っていると手が痛くなる。
ただでさえ握力のない私の手は、このようなパワーを要する行為に拒否反応を示しがちだ。明日や明後日には筋肉痛になることが確定するような作業に気は重くなり、すぐにでも中止して休みたくなってしまったが、いずれにせよ生活スペースを確保しなければ苦しむことになるし、仕方なく我慢して切り続けた。
ペットボトルを潰す作業は数が多くて面倒ではあったものの、力仕事ではなかったから肉体的には楽だった。一方、牛乳パックを切る作業は純粋に筋力が求められて体力が奪われるため、今回の一連の掃除行為の中では最も苦行だったと言っていい。
切った数は50パック分くらいだろうか。月に7パック消費していることになる。朝食にフルグラやパンケーキを食べたり、コーヒーに入れたりして、摂取しない日のほうが珍しいため、これは妥当な数だろう。

あとは前回と同様にプラスチック系のゴミをまとめて、ゴミ袋はいったん居室の余裕ある空間に移動させることで、通路にスペースを作り出すことに成功した。
まだ完全に片付いたわけではなく、通路の三分の一くらいは不要な物質が占拠しているのだけれど、とりあえず当分は室内の移動に困ることはなくなった。
少しずつゴミが増えていくと気づきにくく、身動きが取れなくなる寸前まで掃除しようと思えないのが私の悪いところだが、きっと片付ける前の部屋は他者からすれば異様な光景だったに違いない。
玄関のドアを開けると、もう目の前にはゴミの山があるのだから。通過するためには、大股で乗り越えるアクロバティックな挙動が必要になる。冷静に考えて意味がわからない。

 

日頃から整理整頓を心がけるのと、今回のように不定期にまとめて片付けるのでは、前者のほうが人間として好ましいのだろう。わかってはいる。
ただ、最終的に費やす時間や体力の合計値は、いったいどちらのほうが節約できているのだろう。
掃除のみに焦点を当てるのであれば大して変わらないような気がするし、日常で余計な意識を割かなくていいという意味では、気楽な後者に寄ってしまうのも無理はない気もする。
ただ、部屋が散らかることで確実にQOLは下がるため、自分では気づかないところで他の作業に対する効率が悪化している可能性は否定できない。

まぁ結局、急に性格を改善するのは難しいわけで、上手く定期的な習慣の内側に掃除という行為を取り込むことができなければ、また半年後まで放置することになるかもしれない。
逆に、半年に一度しか掃除しないことこそ、長年の習慣という見方もできるわけだから、それをこの年齢になって矯正することに難儀するのは当たり前とも言える。