K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

生存記録(20240118)

他人から見られることのない自分の身の周りの環境については、とことん無頓着なところがあるので、いわゆる整理整頓が上手くできない。部屋を掃除するとか、溜まったゴミを処理するとか、およそ一般的な感覚では当たり前と言えそうな「頃合い」を平気で見誤るだけでなく、徐々に汚れていく環境に対して一切のネガティブな感情が湧いてこない。ゆえに、それらの家事を定期的な作業として遂行することが極めて困難という問題は、恥ずかしながら事実として認めなければならないだろう。
ただし、感覚が壊れているとはいっても、生活に支障が出るようなら話は変わる。ゴミが通路を埋め尽くしたり、異様な臭いが発生したり、排水口が詰まったり、健やかな生活を妨げることが明白であると判断できる事象については、一転して迅速に対応することになる。普段は怠けてしまう私の身体も、いざ危機感を覚えると動けるようになるのだ。
しかし、今回はそれほど汚い問題ではない。端的に言うなら、久しぶりに空のペットボトルを片付けたという話になる。私が日常的に好んでいる飲料はお茶であり、ほぼそれしか飲まないのだが、スーパーで2L100円もしない安価なものを購入している。もともと飲み物を積極的に摂取するタイプではないため、2Lを空にするためには夏なら数日、冬なら一週間程度は期間を要する。つまりゴミとして溜まるまで非常に緩やかなのだ。
そうして、いつの間にか空のペットボトルが空いたスペースに並んでいくわけだけれど、これが半年や一年といった単位になると、流石に収集がつかなくなってくる。当然ではあるのだが、どうにも無意識下に増えていくため邪魔に感じることがなく、たいてい気づいた時には手遅れになっているという寸法だ。今回は、もはや正しく並ぶことすらできず床に散乱して足の踏み場がなくなった無数のペットボトルを、一斉に捨てられるようにした。難しいことはない。次々と踏みつけて平たく潰していき、大きなビニール袋に詰め込むだけという単純な作業だ。実際に何本あったのか数えることはしなかったけれど、40Lの袋を4枚フルに使ったので、一度に出すゴミとしては異様な量になってしまったかもしれない。
実のところこれで終わりではなく、まだ床には牛乳パックの山が積み上がっている。ほぼ毎日、お茶だけでなく牛乳も飲んでいるのだ。こちらは処理さえすれば一気に体積が減るため、スペースを作るという意味では効果を感じやすい気がするけれど、ペットボトルよりも手間がかかる……というか厚い紙をハサミで切らなければならずパワーが要求されるため、なかなかモチベーションが上がらない。また別の機会に検討するとしよう。