K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

久々の掃除

常識的な観点で言えば「掃除」ですらないのかもしれないけれど、ものすごく久々に片付けを実施した。
ブログ内の検索では、直近で掃除という単語が出てきたのが年末の記事だったが、「年末だから掃除したいけれど無理」という趣旨だったので非カウント、その前が十一月の半ばだった。
掃除にも大なり小なり程度は差はあるが、少なくとも五か月以上は身の回りの整頓を怠っていたことになる。きっと潔癖症の人間からしたら、私の部屋は恐るべき空間になっていることだろう。

 

なぜ動いたかというと、通行が満足にできなくなったからに他ならない。要するに、散らかした物質に妨げられて、なんでもない日常にストレスが生じるようになったから、それを排除しようという運動を起こしただけなのだ。
玄関から居室までの通路が物で埋まっている。足の踏み場もないという表現が一般的だが、そんなレベルではない。私がほとんど外出しないからこそ大して困らないだけであって、毎日のように外に出る生活をしていたら随分と前に限界を迎えていたことだろう。
週に一度の買い出しの際には、身体を無理に捻ってバランスを取らなければ出入り不可能なくらいだった。

障害となっていた物体が何かという話になるが……これは本当に悪い癖というか、好ましくない「慣れ」なのだが、端的に言えばゴミだ。
様々な商品の包装に使われる、燃やさないプラスチック系のゴミが大半で、食料品関連だとしても洗剤で洗っているからそれ自体が汚いというわけではないのだが、スペースの関係でプラ用のゴミ箱を設置できていないため、うっかり足元に放置してしまう。
一度やると感覚が壊れるのだろう。次第に抵抗感というものが薄れていき、いつの間にかゴミの山が出来上がっているのだ。

 

45Lのゴミ袋を取り出してきて、積み上がったプラスチック系のゴミを次々と放り込んでいった。掃除が好きな人は、この瞬間に快感を覚えるのかもしれない。
私はただひたすらに、怠くて面倒以外の何も感じなかったけれど、始めたからには一定まで片付かないと気持ち悪いし、そもそも通路を確保するのが目的なのだから中途半端に終わらせるわけにはいかなかった。
季節柄、だんだんと気温が上昇してきている。ゴミの塊をそのままにしていると虫が湧く可能性もあるから、早いうちに整理しなければならないとは思っていた。

まだ普通の人にとっては十分に汚く見える通路であることは確かだろうけれど、昨日までは乗り越えるのに十秒近く要していたところを二秒ほどで通れるようになったから、大きな進歩と言っていいだろう。
ここからさらに掃除を進めるか、また身動きが取れなくなるまで放置するかは気まぐれで変わりそうだけれど、十中八九、後者になりそうではある。
余計な買い物をしないから居室は空間に余裕があるのだが、しばらく掃除機を使っていないため大量の埃や抜け毛が床に散らばっている自覚がある。これを許容できる精神は、我ながらバグっている気がしないでもない。
ストレスを感じづらい反面、はたして健康的なのだろうかという疑問はある。無菌室で過ごすよりは諸々の耐性がつきそうな一方、病気にもなりかねない。
つくづく、普通に生きる適性に欠けている人間だ。