K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

生存記録(20241007)

ガス点検に備えて掃除を開始した。一般的な「掃除」の感覚がどの程度のものなのか知らないが、私の場合は数年分の蓄積を取り払わなければならないため、規模としては「大掃除」と言っても差し支えないと思う。足の踏み場がない散らかりまくったスペースを、他人の立ち入りが許されるレベルまで改善するのだから、非常に体力を使う大掛かりな作業であるわけだ。軽い気持ちで始めるのは、あまりにも難しかった。
まず一番の問題になるのが、ゴミの分別だった。一切の区別をせずに次から次へとゴミ袋へと放り込んでいって解決するのであれば話は簡単なのだが、現実にはルールが存在するため、ちゃんと分けなければならない。基本的には容器包装プラスチックが大部分を占めており、あとは空のペットボトルと牛乳パックが空間を占有している。私の生活スタイルの都合上、台所の周囲で可燃ゴミが出づらい点だけは、こうして掃除に臨む際に助かるところではある。もっとも、滅多に生ゴミが出さないせいで逆に掃除を怠ってしまう側面はあるかもしれない。プラ表記のある包装類は、洗っておけば長らく放置していても悪臭や虫などが発生することがないため、時間経過とともに少しずつ床に散乱していく。それが積み重なっていき、いつの間にか通路を埋めてしまうのだ。ペットボトルや牛乳パックにも同様のことが言える。使用後に洗浄済みなので、別に汚いわけではない。ただゴミとして処理するのが、普通の感覚よりも遅すぎるというだけのことでしかなく、今回のように他人が部屋に入ってくるといった避けられない状況に直面しなければ、主観的なレベルでは困っていなかった。
プラ包装とペットボトルは別々のゴミ袋へ、牛乳パックは適切な形にカットする。こう書いてしまうとシンプルだけれど、無数に混ざり合ったゴミの山からそれらを正しく振り分けていくのは、私にとってかなりの重労働だった。あらためて気づいたのは、数年の間に消費した食品の多さであり、いくら少食であっても「チリツモ」には変わりないということだった。これら全部を処理するには、いったい何枚のゴミ袋が必要なのだろう。まあ転居するわけではないから今回で全部を片付ける必要はないのだけれど、台所から浴室までの経路を他人に見せられる状態にするだけでも、一日では終わる気がしなかった。
慣れない作業で手は痛むし、舞い上がった埃を吸い込んで喉も痛む。加えて、狭い空間ゆえ妙な姿勢になることも多く、あまり使わない筋肉を活用している感覚があった。普段のトレーニングでも刺激されない箇所なので、きっと明日は筋肉痛になることだろう。午後から始めて夕方頃には体力的な限界を感じてギブアップ、しかし思ったよりも進捗は悪くなく、今日のところは満足できた。一週間のゴミ回収スケジュールを念頭に置いた、ゴミ処理の優先度に従って作業を進めていたので、まだ室内の見栄えは悪い。けれど一日で終えられない以上は、計画性こそが重要なのだ。明日以降も週末まで少しずつ進めていきたい。