K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

音楽センス

ふと、頭の中に曲が思い浮かぶ。それは既存のどの楽曲でもないけれど、どこかで耳にしたような聴き心地があって好みのものだ。思うに、自分が好きなフレーズを寄せ集めて、再構築しているんじゃないかな。
ただ、せっかくいい感じになっても、すぐに忘れてしまうから、なんだかもったいない。

こういうのを形あるものとしてアウトプットできたら、どれだけいいことだろう。
そう思えば思うほど、音楽センスのなさを自覚することになるんだ。

 

 

幼少期の習い事っていうのは、その後の人生を決める可能性が大きいんじゃないか。そう思うことがある。
当たり前のことだけど、それは自分の意志よりも親の方針による部分が大きくて、言い換えるなら親が子供に蒔いた種だ。ちゃんと芽吹くかは本人次第。
私の周りには習い事をやっていた人が結構いたものだから、そういう話を聞く度に、ちょっぴり羨ましく感じていた。

小学生のとき、水泳を五年近く習っていた。泳げるようになっといたほうがいいよという、親からのアドバイスでなんとなく始めたものだった。
これも親の蒔いた種と言えばそうかもしれない。だけど、目的としては体力をつけることや、風邪を引かないことなんかがメインで、水泳選手を目指そうなんて考えはこれっぽっちもなかったと思う。
似たような理由が普遍的に根づいているのだろうか。習い事の話になると、幼少期に水泳をやっていたという人がかなり多いことに気づいた。

泳ぐのは楽しかったし、気持ちのいいものだったけれど、私はどちらかと言えば水泳それ自体よりも、同じ学校で同じスイミングスクールに通っていた仲のいい友人との時間のほうが大切だった。親友と言える間柄だったかもしれない。小学校卒業以来会っていないけれど、今は何をしているのやら。基本的にコミュティレベルの接点がなくなった人と再会することって、ほとんどないんだ。私って。


習い事の中には、学校生活に親しみのある分野がある。特にピアノや歌唱といった教育を受けていた人は、学校のクラスでも特別な存在だ。定期的に行われる音楽系の催しでは、例外なくその子たちが中心になるし、クラス替えの基準にだってなる。

初めて男の子がピアノを引いている姿を見たときは、心底驚いたものだった。ピアノって女の子の習い事じゃないの? なんて、そんなの決まってないのに。小学校でも中学校でも、印象的なピアノ奏者は男の子だった。
ピアノを弾くのが女の子だけだったら、特に意識することはなかったかもしれない。あの柔らかい音色、なんて素敵なんだろうと聴き入るだけで満たされたはずだ。
でも、女の子だけじゃない。男の子の長い指から放たれる力強い表現力豊かな演奏だって、私の心を揺さぶるには十分なほど魅力的だった。

ピアノが目立つというだけであって、他にも楽器は多種多様だ。鍵盤ハーモニカやリコーダーは、義務教育で多くの人が通る道だけれど、それ以外は独自に手を出さなければ触れることすらないものばかりだ。同じ年齢でそれらを巧みに操る人を、これまでたくさん目にしてきた。
男女に関係なく、いつしか私は彼らに密やかな憧れを抱いていた。音楽をやる人って本当にすごい。私にはないものを持っている。


音楽をやる機会のないまま学生生活を通り過ぎて、思うことがある。
どこかで興味を抱いていれば、触れるチャンスはあったんじゃないか。きっかけさえあれば、新しい経験として試そうとしていたんじゃないか。

誰かが言っていた。音楽的な才能は、幼い頃に身につけなければならない。
たぶん、運動神経と似たようなものなんだろう。成長する過程で習慣的に馴染ませていかないと、能力を発揮できる形に身体が出来上がらないんだ。
その点、文章力や画力に関しては、大人になってからでも後天的に習得することができる。もちろん、若いほうが吸収力が高くて有利ということに変わりはないかもしれないけれど、音楽センスほど絶望的なものでもない。

いまさら、あらためて音楽に挑戦しようとしても難しいかなって思うのは、おかしなことではないでしょう?
「やってみなきゃわからない」という台詞は、無謀を無理やり正当化して実現可能性を残そうとしているようで、個人的には好きな表現だ。でも「やってみなきゃわからないかどうか」を判断する力は、私にだって一応ある。

幼い頃、音楽に興味を抱かなかった。それは私に、ただ運がなかっただけなのだ。出会いの機会や環境がない。でも、それって悪いことだろうか。
こういうことを、あんまり深く考えすぎると視野が狭くなってよくない。他の側面では、私の人生はだいぶ恵まれているほうだ。親のせいでも自分のせいでもない。音楽に限って言えば、ただ運がなかった、それだけのことだ。


でも好奇心っていうのは、何歳になっても力強い原動力になる。そのつもりがなくても、なってしまう。エンジンが回れば、動き出すものなんだ。
私にはなんの知識も経験もない。楽器を演奏する技量を磨くことは、もはや難易度が高すぎるに違いない。
ただ、世の中には素人でも扱える技術の結晶が存在する。いい時代になったのだろうと思う。
たとえ自分が弾けなくても、歌えなくても、機械に代行してもらうことは可能だ。作曲のための知恵なんかなくても、ツールを駆使すれば、なんとなく曲っぽいものを生み出すことはできる。そんな時代になってきているんじゃないか。

何をするにも腰が重いし飽きっぽいから、物事を始めることも続けることも、なかなかうまくいかない。でも、一度気になったものは、ちょっと覗いてみないと落ち着かないタイプ。なんて面倒くさい性格なのだろう。
だから、そういう技術を使って音楽に触れてみること。それが今の私にとっての、音楽に対する関心の表象となっている。
時間はかかるかもしれないし、すぐに止めるかもしれない。だけどもし、今の私の形にうまくハマってくれるのなら、絵や文章以外の趣味として、私の中に新しく刻むことができるんじゃないかって思うんだ。