K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

眠れないのも困るが眠りすぎても大変

上手く眠れないと睡眠に悩んでいた状況から一転して、今日は自分でも驚くほど眠りを貪ることができた。
というより過剰なくらい寝ていたので、はたして「今日」がいつなのか判然としないところがあるし、案の定この日記の更新時刻は翌日の早朝になってしまっている。
結局、眠れないにせよ眠れたにせよ、私の生活は不安定な睡眠によって大きな影響を受けていることになる。本当に、眠らずに済むか、完全に機械的な動作として完遂できるようにならないものかと、きっと今後も願い続けることになるだろう。

 

なぜ、いきなり身体が睡眠に対してポジティブな姿勢を取るようになったのか、起きてから考えてみても原因はハッキリしない。
別に運動をして疲れていたとか、頑張って起き続けていたとか、そういうわけではなく、就寝時刻は普段と大差ない、標準の範疇だった。
強いて言うなら、ちょっとずつ積み重なった睡眠不足が、自覚のないところで心身への負荷になっていて、耐えきれずに瓦解した感じだろうか。
確かに寝起きの気分は、いつもと少しだけ異なっていた。蓄積していた寝不足感の解消に伴い、私にしては珍しく、元気が出そうな一日の始まりを迎えることができたように思う。

ただ、必ずしも良いことばかりではない。というのも、何事もやりすぎはベストではないのだ。簡単に言えば、寝すぎた反動のようなものを、なんとなく感じている。
普段とは違う気分と書いたけれど、これは決して最高の状態であることを示しているわけではない。ある素晴らしい目覚めに成功すると、たいてい頭が冴えるような感覚を得ることができるはずだが、今日は別に、頭がスッキリしているわけではないのだ。溜まっていた嫌なものが削れただけであって、取り立てて悪くはないけれど良くもない、見方によっては非常に中途半端とも言える。
今から次に眠るまでの間に予測できるパフォーマンスレベルのピークは、理論上の最大値と、普段の平均値、ちょうどその中間くらいだろう。
まぁそれでも、絶不調であることが多い私からすれば、相対的に見れば悪いことではない。

ちなみに、たっぷり眠ったと言っても長時間の連続睡眠ではなく、3時間×5みたいな小分けの眠りだった。時計だけを単純に信じるなら、15時間睡眠ということになる。
しかしどうにも、私の肉体はきっかり3時間前後で微覚醒の状態に移行してしまうらしい。おかげで、15時間というのも実質的には13時間程度だろうし、諸々の回復効率を考慮すると、おそらく7時間連続の熟睡には及ばないだろう。
今日は眠りに時間を使いすぎて、ほとんど何もできなかった。だからこそ逆に睡眠を日記のネタにしているわけだけれど、ここ最近は日記に書く出来事を直感的に思いつかない日が増えてきて、短めで済ませられる「生存記録」に逃げることが増えてきてしまった。仮に睡眠の悩みが解消したとして、どこまで活動的になれるのか、あまり自信はない。

 

眠り上手な健康的な人間が毎日のように実現している感覚を、様々な要因が重なることでようやく手に入れることができる。それも極めて無駄が多いため、この睡眠を習慣づけることは不可能と言っていい。絶望的な感覚だ。
生まれつきの性質なのか後天的な癖なのか知らないが、スムーズに上質な睡眠を達成できるかどうかは、誇張抜きで人生のクオリティに直結する問題だと思う。その点で、私は相当に大きなディスアドバンテージを抱えていると言っても過言ではないだろう。

ここまでくると、ひょっとしたら病院案件なのかもしれない。自力で「正常」を身につけられないのだから、外的な力に頼るべきだと……ただ私は、昔から歯医者を除き病院の世話になった経験がほとんどないため、いざ通院しろと言われても困ってしまう。
予約して、わざわざ足を運び、しばらく待って診察を受ける。医者とのコミュニケーションもそうだし、軽く想像できる一連の流れ自体が億劫で仕方ない。
手間をかけて金をかけて、それで必ず状態が改善するのであればともかく、可能性のある選択肢というたけで成功する保証はないのだから、そこへ踏み出すにはまだ材料が足りないように感じるのだ。
たとえば、急に倒れて搬送されるとか、何か致命的な事件でも起これば話は変わるが……もし倒れたとしたら、私と日常的に連絡を取り合っている人間は存在しないため、そのまま命を落とす確率のほうが高いだろう。
まぁ寝不足で死ぬなんていうのは、よほどブラック企業に酷使されでもしないと難しい話だと思う。深刻な病気に罹る年齢でもないし、せいぜい熱中症のような誰でも死に瀕する可能性のあるリスクだけケアしておいて、適度に生きることを頑張るしかない。