K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

仕事始め、描き初め

私にとって仕事とは、労働とは、みたいな哲学的な内容は過去の日記にそれなりに書いているから、今回は単純に休み明けがいつになるのかという話から入ることにする。
まだ実家で片付けるべき作業が終わっていないので、あと数日はかかりそうな見込みなのだけれど、そろそろ解決しないと課題に取り組むための生活習慣を忘れそうで困る。
どんな活動にせよ、やはり集中するためには自宅の環境が必要だということは、この数日の間によくわかった。


新年の初めに行う活動について、「○○初め」という書き方をすることがある。
小学生の書き初めなんかが最も一般的だと思うけれど、Twitterでは様々な事柄に対して使われているのを見ることができる。
おそらく、「初」を使って「ぞめ」という発音になるのは「書き初め」くらいのもので、多くは「仕事始め」のように「始」の「はじめ」が正式なのだろう。私の日本語センス的にも、そのほうがしっくりくる。
細かい違いは恥ずかしながらあまり認識できていないから、ここに正しい説明を書くための材料は持っていないのだけれど、感覚的には「動詞+初め」あるいは「名詞+始め」という例が多いのではないだろうか。まぁ特に根拠はない。
すると、新年最初の絵を描く行為は、個人的には「描き初め」と言いたいところだ。しかし現実には、検索してみるとわかるが圧倒的に「描き始め」が多い。「描き」まで入力すると「描き始め」が候補に出てくるくらいには、差がある。

日本語は難しいし、言葉は変化する。また、ぶっちゃけ言葉なんて意味が通じればいいという大原則があるから、いちいち気にしても仕方ない側面はある。
ただ、自分の言語感覚とのズレを感じる表現が多数派のものとして地位を確立しているのを目にすると、違和感を覚えずにはいられないし原因を知りたくなるものだ。

私のように言葉に対して妙なこだわりを持っている人間が、まず少数派だとする。その前提に立つなら、Twitter民のほとんどは深く考えずに「○○始め」と表現しているはずだ。
嘆かわしいとまでは思わないが、少し残念には感じる。
そもそも「仕事始め」と同様の形で、絵を描く行為に「始め」を使いたいなら、「お絵描き始め」とか、「イラスト始め」とか、なんらかの名詞でなければならないはずだ。だって、そうではない、動詞に付けられる通常の「~始め」は「ちょうど~を始めたところ」という意味になるではないか。つまり「描き始め」では、「いま絵を描き始めましたよ」という時を表す描写に過ぎないのだ。
まぁしかし、しかしだ。「かきぞめ」という言葉から連想されるイメージは書道のものであって、イラストから離れてしまうという話であれば理解することができる。一方、上に挙げたような例では造語っぽくて、使うのに抵抗があるとか、そもそも思いつかない表現とか、使わない理由はいくらでも考えられる。だから自然な形で大衆に支持されるようになったのが「描き始め」になるのではないか……という感じで、私の中で一応の結論を出しておくことにする。
今年の最初のお絵描きですよというニュアンスと同時に、今年のイラスト活動を開始するぞという、そんな意気込みが見えてくる気がする。

なお、「ぞめ」ではなく「はじめ」として「○○初め」と書いているのは単に変換ミスか、「初めに」のように単体で使う時のように副詞的な表現なのかもしれないと考えている。
まさか、スタートするという動詞として「始」ではなく「初」を使う日本人なんていないだろう。
日本語って難しい。