K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

うずうずする

Twitterでタイムラインを眺めていると、次から次へとイラストが流れてくる。
「神」の定義は人によって異なるけれど、世の中には本当に神絵師が多い。ここ数年で爆発的に増えたように思う。
今年は丑年ということで、そういう模様のビキニを着たえっちな絵が印象的な正月だった。


私も先日、友人に送る年賀状のために丑年に関連したイラストを描いた。
まぁ露出度は控えめにしたけれど、過去のどの年賀状よりもクオリティが上がった自覚が持てたので、画力はちゃんと漸進できているのだと思う。この調子でいきたい。もっとペースを上げたいくらいだが。
実家にいる現在は残念ながら環境が整っていないため、そろそろ新しい絵を描きたくなって、うずうずしている。
一応iPadは持ってきているからラクガキはいくらでもできるのだけれど、本格的に描きたいならPCがないと難しい。狭い画面でカラーイラストを仕上げるだけの技術が、まだないのだ。
これを機に練習してみるのも悪くないかもしれない。

もう随分と前の話になるが、私は大学に入学する直前に初めてPCを買ってもらった。入学祝いみたいなものだったと思う。
それからは、家にいて起きている時間のほとんどは電源を入れっぱなしで、何事においてもとりあえずはモニターに向き合う生活が続いていた。
大学入学よりも前の、PCのない状況でいったい何をして過ごしていたのか、どうやって時間を潰していたのか、もはや思い出せない。
今は一時的にPCが使えない環境下にあるけれど、あの頃とは違ってスマートフォンなどのインターネットに接続できるデバイスが複数あるし、Amazonプライムでアニメは見られるし、いくらでもソシャゲで遊べるし、iPadで絵は描ける。便利な時代になったものだ。
けれど、それでもやはり不便を感じるから、私にとってPCという機械の有能さは絶対的なものなのだろう。

実家にはノートPCがある。高性能のデスクトップを必要とするのは家族の中で私くらいのものなので、比較すればスペック不足を感じずにはいられない。
わざわざノートPCを立ち上げてまで、やりたい作業など特にない。だから使うことはないだろう。
結局、絵を描くためにもある程度のスペックが求められるし、そもそも家族の視線に晒されながら絵を描くのは難易度が高い。
私が心から楽しめる物事は、自らだけが存在する空間においてのみ成立する。

私は自分の趣味について、家の中で誰にも話したことがない。私にとって趣味というのは、いつだって私だけの、密かな楽しみだった。
だからだろうか。実家にいる間は、iPadを使ってラクガキをすることにも若干の抵抗感を覚える。自室にこもってしまえば見られることはないとはいえ、不思議と気が進まないのだ。
心の中で欲が渦巻くくらいには描きたいと思っているはずのに、描きたくないという気持ちもある。なんなのだろう。突如として発生した自家撞着に、気味が悪くなる。
ここに滞在し続けても、きっと状況が変わることはない。だから早く自らがいるべき場所に戻って、元の生活を取り戻していくのが正解なのだろう。

今はただ、こちらですべきことを終わらせるために注力しなければならない。
年内に終わらせられなかった掃除が、まだ残っているのだ。本当に面倒くさいけれど、放置したままでは気持ちを次に進めることができない。