K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

半年

特に意識していなかったので今日になってから気づいたのだけれど、どうやらこの日記が半年以上続いていたらしい。
毎日更新していて、今日で186日目。186記事目。
三日坊主で終わらないか心配していたのが半年前だと思うと、なかなか感慨深いものがある。


内容は当初と比べて少しずつ柔らかくなってきたと言うべきか、前々から頭の中で溜め込んでいたものをそれなりに吐き出したせいなのかわからないけれど、最近は日常に対する思考整理のような形になることが多い気がする。
まぁ過去一か月ほどは生活環境の変化など新しい出来事があったので、自然なことではあるけれど……五月六月あたりに書いた、シリーズ系にするつもりだった記事の第二回以降が出ていないことや、たまに上げると言ったきり専用の記事を作っていないイラストの話とか、習作として書くつもりだったけれど形にしていないショートストーリー(なお案は頭にある模様)だったり……せっかくの思いつきを疎かにしてしまっているのは、やや不本意であるところ。
ただまぁ、今は今で書くネタが毎日それなりに生まれているので、しばらくは流れに任せてしまってもよいかと思っている。もう完全に日々の習慣となったことだし、わざわざネタを考える労力も、このところほとんど感じていない。

知人に見つかるのではないかと、びくびくしながら更新し続けている日記だけれど、アクセス解析を見た感じでは、まだ見つかっていないように思う。
あるいは、仮に発見されていたとしてもすぐに閉じてしまった感じだろう。なんだこれ、気持ち悪い、という具合に。
私とそれなりの間柄であれば、こんなブログを見つけてしまったからには……半年分の文章を思うと隅々とはいかないまでも、複数のページを遷移して、暇な時間に読み漁るに違いない。私ならそうするし、お気に入りに登録さえするかもしれない。
やはり、見つかるかもしれないというスリルと、見つかっても問題ないという自信(なんの?)は、意外に悪くないものだ。いざ見つかったら恥ずかしくて死にたくなるのは確定事項として、けれど同時に自己満足を他人に見せつける快感もあるだろうから、Twitterに貼ったリンクは当分このままにしておくことだろう。

ブログを始めたばかりの頃は、書く内容の方針なんかを細かく考えていたような気がする。実のところ、今も皆無というわけではないのだが……もはや無意識に近いエネルギー消費で形に出来ているわけだから、別に余計な思考を交えなくてもいいのではないか、と思わないでもないのだ。
もう少し言い換えると、夏頃までの記事というのは、すべてではないにせよ多少の計算によって成り立っていた。それが今では、計算不要に近い状態になっている感じだ。
ストーリーとかシナリオと表現しても、間違いではないかもしれない。あの頃の記事たちは、その日の習慣として行うというよりは、一週間とか二週間とか、そのレベルで計画的に順序だてて並べられた作品群だった。
もっとも計画的とは言っても、書くのは当日がほとんどなので調子に波はあるし、表現の巧拙とか記事ごとの繋がりとか、後から振り返ると不満点などいくらでも見つかるのだが。
しかし、大きな流れは事前に考えていたものが大半だった。
それがもはや、早い日は午前中に書いてしまうこともあるが、多くは夕方を過ぎてからとか、更新時間の直前に近いタイミングとか、結構ギリギリの営みとなっている。その場で頭を働かせてキーボードを叩く。あるいはフリック入力を行う。
よく続けられているなぁと自分で感心してしまうくらいだけれど、文章の訓練としてはこちらのほうが実戦的なのではないかと思う。

 

こういう節目において、過去の記事を省みて取り上げるのは面白そうではあるけれど、それは私が面倒だと感じるので、きっと今後もやることはないだろう。
もし半年後、一年続いたとしたらちょっとした企画にはなりそうな気がするけれど、それはその時に考えることだ。

もう、いつまで続けるのが目標、なんてことは言わない。これは生活の一部だから。本当の目標に至るための、ほんの準備に過ぎないのだから。
あと二週間くらいしたら新しい環境にも馴染んでくるだろうから、いよいよ本格的に活動スタートとなる。活動というか初めは修業のようなものだけれど、それまではせいぜい、気ままに生きる私の思考を書き留めておくことにしよう。