K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

ただ再会したかった

私自身がすっかり忘れていたので、いまさら何か咎めようというわけではないのだけど、約束をすっぽかされている。
昨年の十月に、久しぶりに勇気を出して連絡した相手がいた。友人……と言えるかどうか自信が持てないが、少なくとも友好的な関係であったのは確かだと思っていた。


十月というのは、私の置かれる環境が大きく変わりつつあった時期だ。所属していたコミュニティからの脱却と、新たな目標に向けた一歩を踏み出すための活動が始まった頃……あの時の私は、一種の不安に支配されていたのかもしれない。
もしかしたら、先行き不透明な自分の人生に対する、名状しがたい不安と焦燥感が日記に表れていた可能性もあるけれど、とにかく私はその怪しい心の在り方を解消しようとしていた。
先日も書いた通り、気分転換には他人に会うのが一番の方法だ。学生時代の友人でもなんでもない、けれどリアルに関わりを持った中で一生忘れることはないであろう同年代の人間がいる。
しばらく会う機会がなかったので、多少の躊躇いはあったがLINEで声をかけてみた。
自発的に誰かに連絡を取るということは、私にとっては非常に珍しい行動だった。

環境の変化と身の振り方について触れた後、都合が悪くなければ会わないか。そんな内容を伝えた。
一年以上は間が空いていたので、いきなりの連絡に驚いたらしいことは、大袈裟な反応から読み取ることができた。私の想定通り、その人にとって私は蔑ろにはできない存在だったようで、予定を調整してみる、と快諾してくれた。決まったらまた連絡すると。
それから三か月以上が経つが、いまだに何も返事をもらっていない。

その人は、私よりも他人との関わりが非常に多い人で……私が特定の人間との交流に対して非日常的な大きな意識を傾けるのとは違って、その人にとって私との関わりというのは数ある交遊関係の一つに過ぎないのだ。私からすれば、かけがえのないコミュニケーションであっても、相手からの特別視なんてものは期待するほうが間違っている。
そんな私が、うっかり忘れてしまっていたくらいなのだから、きっと記憶の遥か彼方に仕舞い込まれてしまったのだろう。今のところ、私のために予定を空けるというミッションが果たされる気配はない。

一つの原因として、予定を空けるどころではなくなったという可能性が考えられる。数ある重要な用事と比べたら、圧倒的に優先度が低めの私という人間に割くリソースが残らないほどの多忙な日々。
もともと責任感の強そうな人だったし、けれど要領は悪いほうで、だから仕事では苦労することが多いタイプだ。私には考えられないくらい、労働のために犠牲にしているものが多いのだろう。
上に書いた内容は私の想像ではあるのだけれど、考えれば考えるほど現実味が出てくるので勝手に憐れみすら抱いてしまう。やはり労働はクソだ。

ともあれ、このまま忘れ去られたままというのは気持ちが悪いし、いつしか思い出してくれた際に罪悪感を抱かせてしまうのも、あまりよろしくないと思っている。
いっそのことこのまま忘れたことにして、初めから交遊関係なんかなかったということにする……そんな寂しく悲しい結末にしてしまうのは、きっとここに書く以上に簡単なことだけれど、人と人との繋がりというせっかくの財産を、みすみす捨ててしまうのはもったいないではないか。
年も明けたことだし、年始の挨拶を添えて、また連絡してみようかと思う。まぁ今は平日で、きっと昨日から仕事に勤しんでいるのだろうから、残念ながらいつメッセージを送っても迷惑になる可能性がある。
LINEのプロフィールに、急用の場合はTwitterまで、というようなことが書いてあるから、仕事のある日は気づかれない可能性も高い。こんなことなら、正月休みの期間に思い立って連絡を試みればよかったのだが、まぁ終わってしまったものは仕方ない。

ちなみに私はその人のTwitterアカウントを知らないことになっていて(実は知っているのだが)、そして私はTwitterを日常的に運用していないし事実上、本人証明が不可能なので、LINE以外から接触することは難しいという問題がある。
ただ一人の人間と普通に会話したいだけなのに、これほどまでに苦戦することになっているのは、私の対人コミュニケーションの方法に致命的な欠点があるからなのだろうと、わかってはいるけれど一向に直せないあたり、今後も苦労することになりそうだ。