K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

足音

日常のストレスの話だ。
外部から強いられるタイプのコミュニケーションからほとんど解放されている私にとっては、在宅時に日常生活で感じる不愉快な要素が、相対的にストレス原因の上位に並ぶ。
自らの不摂生で招いた苛立ちなら改善の余地は無限にあるけれど、そうでない場合、つまり他者の行動に左右される問題は対策が難しく、解消されない不満は次第に大きな塊となって心を蝕むのだ。

 

この家に越してきた時、最初に用意したのは家具や生活必需品ではなかった。
あまり広くない部屋だからこそ可能なことだとは思うのだが、床全面に敷くためのマットを揃えるのが最優先事項だった。
賃貸である以上は傷を付けないように気を遣うべきだが、普段から注意を心がけるのが非常に面倒だったから、それなら全面を覆ってしまえばいいという考えがあった。多少は防音効果も期待できるし、寝転がっても痛くない。悪くない選択だったように思う。

マットで床を埋め尽くした後は、必要な家具を設置する。フローリングのままなら、設置時に大きな物音を立ててしまっていたかもしれない。
何も敷いていなければ、床に物を落とした際に壊れる可能性もあるし、あまりにもリスクが大きすぎるから、これに慣れてしまうとマットなしには生活できない。
室内で歩く時には衝撃を吸収してくれるから、足音が響くこともない。

 

さて、私は極力、周囲に自分の影響が及ぶことを恐れて避けるように、ひっそりと静かに生きているのだけれど、隣に住む人間は必ずしも神経質ではないし、むしろ世の中の大半がバカであるのと同様に、無神経だったり非常識だったりする確率のほうが高いのだろう。
やつらの生態は私に筒抜けだし、逆に私は得体の知れない隣人として認識されているに違いない。

ドアや戸棚の開閉音とか、それに伴う振動が響いてくるのは日常茶飯事で、そうした生活音が私に聞こえているかもしれないという想像力がまったく働いていないことが、最近わかってきた。
そもそも壁が薄すぎる建物の構造が問題であって、そんな物件と契約した自分のミスが悪いという話もあるのだが、それはそれとして、ずっと住んでいれば壁が薄いという事実には気づいているはずなのだ。
壁が薄いため、注意しなければ隣人に聞こえてしまう。そうした状況に促されて、なるべく音を抑えようと努めるのが自然な思考回路だと私は考えていたのだが、どうやら隣人は違うらしい。
移動する度に、ドス、ドス、と踵が床に当たる音が伝わってくる。同じ家に住む家族ならまだしも、明確に部屋が区切られているはずなのに、顔も知らない他人の発する音に自分の生活空間が脅かされるなんて、もう不快で仕方ない。

ありのままを垂れ流して、隣にどう思われようが関係ない。知ったことか。
そんな人間が私のすぐ近くに生きていることが本当に業腹なのだが、流石に反撃すると状況がややこしくなるため、今はひたすら耐え忍んでいる。早く出ていってほしい。

ちなみに今日の内容は抽象的というか、別に特定の迷惑イベントが発生したことに起因する文章ではない。
過去に何度も書いてきた隣人からの迷惑行為については、確か六月か七月くらいに管理会社に連絡したのを最後に、派手なものはなくなっている。
今回はそれ以外の、普通の日常的なストレスの話であって、おそらくここに住んでいるのが私でなければ、世の中の過半数の人間は気にも留めないレベルの些末な出来事に違いない。

まだ赤ん坊の頃から、私は物音に敏感だったらしく、この性質はほとんど生まれつきと言ってもいい。
つくづく、社会的動物である人間という存在をロールプレイするのに向いていない性格だと思う。