K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

時間の支配下にて

時間が経つのが速い。
好きなことをしていると、自然に進む時間の流れを妨げる要素がないから、あっという間に一日、一週間と過ぎていく。ある程度の計画性をもって日課に取り組んでいるのも、体感時間を加速させている一因なのだろう。
このままだと、一年や二年どころではなく、何十年先までも高速で駆け抜けてしまうのではないか。急病とか事故とかに遭わない限りは、寿命や死なんてものはまだまだ遠い出来事だと思ってるけれど、この時間感覚が継続していくとするなら、人生はとても短いものになるのではないか。

 

ふと、そんな恐怖が頭に浮かんだ。ただ、考えてみればそれはとても幸せなことのようにも思える。長い人生を隅々まで満喫できるとしたら、ある意味で理想的だ。
幼い頃は還暦まで生きたら、あとは数年程度のものだろうと、ぼんやりと考えていた。現実には平均寿命が延びていき、会社をリタイアした後の「第二の人生」について考えることを余儀なくされる人が増加している。私からすれば人生は一つなので「第一」も「第二」もないわけだけれど、いずれにせよ長い時間の過ごし方についてあれこれ思索を巡らせる必要があるのは、ほとんどの人間に共通して言えることかもしれない。

仕事一筋で生きてきた人間が、退職した途端に生きがいを失って何をすればいいかわからなくなる、なんて話はたまに耳にするけれど、私にはまるで理解できない。世の中は不断にめまぐるしく変化しているし、長く生きていればそれだけ多様な価値観に触れる機会があって、興味の対象には困らないはずなのに。世の中には自身が関心を抱ける素敵な物事が、いっぱいあるはずなのに。
まだ若い私には見通せない世界があるのかもしれない。でも時間というのは、あればあるだけ使い尽くせるものだ。好奇心を満たすために動こうとしたら、いくらあっても全然足りない。ましてや余るなんてことは、生きる目的を見失って思考の路頭に迷うなんてことは、今の私からは想像もできない。

自由すぎるのは却って束縛という感覚は、わからないでもない。余裕がありすぎるからこそ、選択肢の幅広さに圧倒されて身動きが取れなくなる。学生時代の夏休み。休み前のテスト期間にあれだけ誘惑してきた娯楽の数々に対して、いざ課題から解放されたら一気に熱を失う謎の現象。もしくは、手を付けてみるものの思ったほど熱中できずに放置してしまう。結果的に残るのは、あぁ……また怠惰に時間を貪ってしまったという虚しい思い出ばかり。
これは極端な例かもしれないけれど、極度の開放感というのは、対策を立てておかないと人の原動力さえ奪ってしまうものだ。フリー。無。何もない空虚の底に這っていることに気づいてから、再び刺激にまみれた生活に戻るのには大変なエネルギーが必要だ。
私はだから、自由に身を置きつつも常に神経を尖らせておくことが肝要だと思った。常々、新しさを追求すること。ルーティーンにも変化を持たせること。感性を鈍化させないための心がけには、努力を惜しまない。

 

好きなこと。絵を描くこと。本を読むこと。ゲームをすること。アニメを見ること。
どれも楽しい。気づけば外の世界は暗くなっていたり、明るくなっていたりする。体内時計なんて、この自ら作り出した「集中」という名の空間では一切アテにならなくなる。
怖いな、と思った。楽しいけれど、楽しいからこそ一瞬で過ぎ去ってしまう。始めてしまったら、半日後にタイムリープするようなものだ。一日の時間が倍あればいいのに。自分以外の時が止まればいいのに。

こうやって考えている間にも、時は歩みを止めない。時間の経過に置いていかれないように、私はただその時にできる「やりたいこと」を消化していくだけだ。
目の前に浮かんだ「欲」に縋って生きていく。足を踏み外す以外には、きっと人生に余裕なんて感じる暇はないのだろう。