K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

配信とか承認欲求とか

ゲーム配信で使われるプラットフォームは、日本ではYouTubeかTwitchの二択みたいなところがある。私の主観ではあるけれど、それ以外となると廃れてしまったか普及していないかのどちらかに思えるのだ。
特にYouTubeに関しては配信者というわけではない人にとってもかなり身近な存在で、見るだけでなく、ちょっとした動画を投稿して情報の共有に使われることもしばしばある。
私の場合は、それらとは少し違うのだけれど、取っておきたい動画だったり上手くいったゲームのプレイシーンだったりを、非公開で保存している。


ハマっていた配信者のアーカイブもいくつか抱えているし、他には期間限定で公開されていた映像なんかがメインなので、誰かに見せるのではなく完全に自分だけの物置として使っている。
PCに録画保存する手もあるが、YouTubeに置いておけば容量の心配をする必要がなくて非常に助かっている。
非公開なので、たとえ著作権に抵触していたとして削除されることはなく、一年後とか二年後とかに見ると意外とお宝になっていることも珍しくない。

配信の際にはOBSを利用している。配信界隈では有名なツールだと思うけれど、かなり細かく設定できる項目がたくさんあるので、私ごときの私的利用においては、一生使いこなせる気がしない。
CPUはRyzen7の旧型、グラボはGTX1060、メモリは16GB、という構成なので最新のFPSゲームでなければ、そこそこの画質で実況配信をすることも不可能ではない。やる気と積極性さえあれば、いわゆるバ美肉も数日以内に可能だろう。性格的に難しい話ではあるが。
ちなみにグラボに関してはモニターをWQHDに新調した影響でスペックに不安が出てきたので、RTX3060あたりに買い替えようかと目を付けているところだけれど、近頃は何かと出費が厳しいため当分は1060くんに頑張ってもらうことにしている。

 

なんだか環境は整っているのに、活用できていない気がしないでもない。もう少し画力の向上が進んで筆の速さが身についたら、イラスト配信を試みてもいいかなとは思うのだけれど、あまりそういう、他人の目に晒されながら自らを主張していくということに、それほど魅力を感じていないものだから気が進まない。
というより、見られていると思うだけで平常心ではいられないのだ。現実のプレゼンなんかにも当てはまるけれど、たいてい思考が渋滞を引き起こして自分が何を喋っているのかわからなくなるし、そうなると記憶にも残りにくくなって反省するのも難しい。そういう状態に陥ってしまうと本来のパフォーマンスの半分も発揮できたらいいほうで、結果的に「なんか失敗した。ダメだった……」と後悔にとらわれるのではないかという不安が、どうしても先行してしまう。
慣れの問題だろうか。きっと、慣れはある。けれど人間の本質的なところで向き不向きは決まっていて、不向きなことに慣れるためには多大な労力が求められるものだ。見返りがあるかもわからない世界で、いつ突破できるか不明瞭な試練に耐え続けるくらいなら、初めから適性のありそうな事柄に精力を注ぎたいと思うのは、何か間違っているだろうか。

Twitterが苦手なことといい、私は承認欲求が極端に低いのかもしれない。以前にpixivで上げた絵に「いいね」がついていたら、嬉しかったという経験はある。しかし、閲覧者が増えるにつれ言いようのない恥ずかしさのような感情が上回り、加えて絵に対する反応を気にしている自分の姿勢そのものが強大なストレスなった。慣れてきたらなんでもないことのはずなのに、いちいち感情がぐちゃぐちゃになりそうになる。承認欲求の壁というかなんというか、もう少し欲張ってもいいはずなのにあと一歩が踏み出せないせいで、「もっと、もっと」という創作のための餌が欠乏して窮していたのが、今年の初頭から春にかけてのことだった。
自分自身の世界に浸っていられたら、それだけであまり不満はなかったのだ。直接的にせよ間接的にせよ、他者と関わることで生じるメンタルへのダメージ・疲労と、得られるかもしれない新しい経験や出会いの可能性を天秤にかけると、よほど見込みがある場合でない限りは、内なる私は行動の実行に許可を出さない。
そういう自分大好きかつ後ろ向きなスタンスで長らく生きてきたから、「友だち」がほとんどいない末路を辿りつつあるわけだけれど……顔も知らない相手とSNSを使ってどんどん仲良くなっていって、フォロワーを次々と増やしていける人間を少し羨ましく思う。

 

現在では、多少は認識が変わっている。やはり日記を習慣にしたのは正解だった。
こうやって文章を書いたり、あるいはイラストを描いたりするのは自分だけの時間・空間で行えるものだ。だから、我ながら非常にのびのびとアウトプットできているような気がしている。
公開するのは既に形が出来上がってからなので、作成中に変な緊張感に由来するパフォーマンスの低下なんて起こらないし、世に放った後は下手に反応を気にしなければ問題ないことがわかった。
幸いなことにこのブログは、一応毎日のように誰かしらの訪問はあるものの、特定の人物の「お気に入り」になったり、あるいは頭を悩ませるようなコメントが付いたりすることは今のところないから、気楽に続けることができている。

絵についてはpixivにせよTwitterにせよ、流行りのジャンルで力を入れて描けば無反応ということにはならないため、まったく同じようにはいかないとは思うけれど、そろそろ電子世界に自らの一部を晒すことにも主観的な意味で順応してきた感覚があるので、このままいけば先日に書いた今後の大まかな予定通り、年明けからしばらく経ったらアップロードを再開できそうだ。