K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

年齢

一年という時間は短いようで長く、けれど思い返してみるとやっぱり短い。
毎年、年齢を重ねるたびに、あっという間だったと思う。死ぬまでに、これをあと何回繰り返すことになるのか……まぁ若い今そんなことを考えても、無駄でしかないわけだが。

 

昔は、年齢が増えると嬉しかった。一つ大きくなったという、確実でわかりやすい指標だったから。
けれど、いつからか誕生日というのは、まったく嬉しい出来事ではなくなったし、むしろどうでもいい、無関心に近いものとなった。確か、記憶が正しければ二十歳の誕生日だったように思う。
こんな私でも十代はそれなりに純粋かつ多感で、特に後半の数年間は最も変化に富んでいたから、その分だけ十代の終焉という事実に失望感みたいなものがあった。もう子供ではなくなる、という得体の知れない恐怖のような、強烈な違和感。
あの時は、自分でも信じられないくらいに捻くれていて、機嫌が悪かった。おかげで記念すべき二十歳なのに、家族とも険悪な雰囲気になったし、とにかく最悪な印象しか残っていない。まったく、もったいないことをした。

二十という節目を過ぎてからは、年齢が変わる日に対して、何も特別な想いを抱くことがなくなった。心底、どうでもいいと言わんばかりに。
ただ単に、もう一年が経ってしまったのかという形容の難しい喪失感と、徐々に衰え始めるに違いない肉体への不安が募るのみ。だからどちらかと言えば、誕生日に対してはネガティブなイメージを想起するようにさえなってしまった。
とても、他の周りの人間のように明るい気持ちにはなれない。祝いたい人は勝手に祝っていればいい。私は知らない。

余談だが、誕生日であることを周囲にアピールする人間がいるけれど、あれはなんなのだろうか。承認欲求の塊なのかしら? まぁ本来はめでたい日なのだから好きにすればいいとは思う。ただ、祝言というのは他人に強いるものではないというのが本音だ。
そんなわけで私は祝われるのも祝うのも好きではないし、祝ってと言われたら絶対に祝ってやらない。ちなみにサプライズは好きだ。

閑話休題。年を取るということについて一つ考えがあるとすれば、それは年齢を重ねることによって柔軟性を失いたくはないということ。新しいものを真っ向から否定するのではなく、とりあえず受け止めてみて、自分に合うかもしれないものであれば勇気をもって取り入れてみる。日頃からそういう癖をつけておけば、おそらく何歳になっても戦えると思うのだ。
還暦を過ぎても第一線で活躍していたり、平均寿命を超えても元気に生きていたりする人たちは、きっと頭が柔らかいからこそ、頑張れるのだと思う。
自分の知らないものを拒絶することでしかアイデンティティを保てない生き方が極まってしまえば、いずれ周囲が新しいものばかりになって、ストレスで破滅してもおかしくない。自らをアップデートしていける人間になりたい。心からそう思っている。


年々、時間が経つのが速く感じられるという現象がある。専門的には相対性理論だとか、いろいろあるのかもしれないけれど、門外漢なので私の考えるままに書いてみる。
幼い頃は、毎日の時間をたっぷりと堪能して生きていた。それと比べて今は、気がつけば一瞬で終わっているかのように思えるくらい大した印象もなく過ぎ去っていく一日。一日。それが繰り返されて、あっという間に一年が経つ。
要するに、刺激の問題なのではないか。幼い時分は知識も経験もなく、目にするものすべてが新しい新鮮な世界だ。一つひとつを解釈し、理解し、自分の中に取り入れるまでの出来事を、多様なエピソードとして記憶していく。ゆえに時間が長く感じられる。
一方で、年齢を重ねていくと常識が身につき、教養が身につき、次第に日々の生活から受け取る新鮮味が薄れていく。そのうえ、小学校から人によっては大学までの決まりきった一連の流れがあって、さらに就職というイベントを経て、社会の労働力となり果てる。もちろん各段階で、喜ばしい体験を味わったり苦難に衝突したりして、印象的な出来事に遭遇することはあるだろうけれど、基本的には「だいたい決まっている」道の上を歩くだけだ。特別感は、あまりない。私は、つまらないと思った。少しずつ刺激が不足していって、だから時間の経過も速いのだと。

型にハマることが悪いとは言わない。というより、そういう人間は必ず社会に必要なのだから、むしろ尊敬したいくらいだ。
けれど、まだそれほど長くはないかもしれない私の人生において、多少はみ出したり回り道をしたりしつつも、しばらくレールの上を歩くみたいな生き方を続けてみて、何かしっくりこない、という違和感をずっと抱えてきた。どうやら私には、合わないようなのだ。変えていかなければならない。このままでは年齢が一つ増えるたびに負の感情を溜め込んでいくだろうし、いつか大きく後悔するに違いない。

十人に尋ねたら八人か九人は否定するであろう、最近のあるいは今後の私の行動原理は、そういうところにある。

 

別に今日が私の誕生日というわけでは全然ないのだが、ふと思いついたので書くことにした。短く済むと思ったのだけれど、書き出してみると意外と長くなって、まとまりのない内容になってしまった。まぁいつものことだ。
ただ、真っ当に働いて社会貢献してきた親なんかを見ていると、心から凄いことだと感じてしまったのだ。とても私には真似できそうにないと。だから、この感情は書いておかなければならないと。

私は、私の道を自ら模索することでしか生きていけないのかもしれない。うまくいくかどうかなんて現時点では知らないけれど、そうでなければ頑張れそうにないのだから。
せめて後悔しないように、年を取りたいものだ。