K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

新年度

月末ということで、普段とは違う何かを書こうかと思ったけれどネタが思いつかないまま無為に時を過ごしていたら、いつの間にか四月になってしまっていた。
だからもう仕方ない。三月は終わったものとして、言及することはやめよう。これからは新しい季節について考える時間だ。
というわけで、適当にTwitterを眺めていたのだが、例によって様々な某ネタで溢れていることに気づく。

 

正直な話をする。この日記の主旨は次の一文に詰まっていると言っても過言ではないだろう。
エイプリルフールにかこつけて面白そうな企画をするのは構わないが、頑張っている企業があまりにも多すぎて、関心の持てる情報を追うだけでも非常に面倒くさい……と思ってしまうのだ。

ハロウィーンやクリスマスと同様に、もはや風物詩の一種となっているエイプリルフールの流れだけれど、そういうのが好きな年頃というのは本当に短い期間に限られているのではないかと思う。
物心がついてから、多感な思春期の後半にかけて……それを過ぎてしまうと純粋な心が風化してしまうのか、ちょっとの刺激では物足りない身体になってしまうのか、あるいは次から次へと入ってくる情報の波にうんざりしてしまうのか……とにかく、私が素直な意味でエイプリルフールを前向きに捉えることができていたのは、成人前後くらいまでだった。

この日のために、長い時間と労力をかけて準備してきた人が、世の中には少なからず存在しているのだろう。
たいてい、エイプリルフール関連の企画というのは期間限定であり、数時間から数日が過ぎればクローズされてしまうものだ。決して常設ではない。
素人目にはリソースに対するコスパが悪いとしか思えず、もったいない気がしてならないのだけれど、ユーザー側の立場としても短期間に楽しむ必要があって慌ただしいことこの上ない。
総合的には、デメリットは少ないにせよメリットも大したことがないのではないかと思ってしまう。

私は興味の対象範囲が、現在のところは過去の自分と比べて狭いほうだ。
メインで追っているコンテンツの企画なら軽く目を通すつもりではいるけれど、それ以外の、言ってしまえば「どうでもいい」「嘘」なんてものは、もはや必要としていない。
定番の流れには飽きさえ感じるし、もう「そういうもの」だと知っているから大きな新発表があったとしてもサプライズ感なんてない。
捻くれすぎだろうか。こういうネタをまとめているサイトはあるだろうが、毎年のようにまとめサイトを見て、そのすべてを摂取することを楽しみにしている人が、この令和の時代に棲息しているのだろうか。
時代錯誤感すら覚えるこのキャンペーンは、いったい誰の幸せに繋がっているのだろう。想像力が足りない。すぐには思いつかなかった。

 

実際には、新年度の開始日となる四月一日だ。
新たな環境に向けて緊張感を高めていたり、何かと神経を張っている人は多いのだろう。
そんな普段とは少し異なる、変化が起こりやすい日常の中で、クスリと笑えるネタを提供してくれる様々なサービスに対しては、感謝すべきなのかもしれない。

またしても、私が社会から逸脱してしまっているばかりに、共感できない問題が発生してしまった。
願わくば、こんな些細なことを気にせず生きられるような愉快さが日常の中に欲しいところだ。