K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

花粉症

私はベテラン花粉症プレイヤーだ。
発症したのは遥か昔、小学校低学年の頃だったと記憶している。当時は周囲に花粉症の人間なんて少なかったから、なかなか共感を得ることが難しかったのだけれど、近年では増加傾向にあるようで、花粉症に苦しむこと自体は別に珍しくもない現象となっているはずだ。
最も被害を受ける数が多いスギ花粉は、冬から春にかけて外界を飛び交う。どうやら、もう舞い始めているようだ。

 

花粉症にまつわる昔話をする。
あれは大きな前兆などなく、突然の出来事だったように思うが、とにかく小学一年生か二年生の冬、もうすぐ学年が変わるという時季だった。
私の花粉症は、鼻から。
授業中、風邪を疑いたくなるくらいに、大量の鼻水に襲われた。用意周到な児童ではなかったから、ポケットティッシュなどの拭えるアイテムは持っていない。
ポタポタと滴る透明の水分が机を濡らす。流石にこのまま放置しておくことはできない。汚いとは思ったが、つい鼻の周りを袖口で拭き取ってしまう。他に手段がなかった。

すぐに親に伝えて、耳鼻科に連れていってもらえば良かったのだろう。今もそうだが、特に幼い時期は自己主張に乏しい子供だったから、日常的な些細な悩みを相談しようという思考回路はなかったらしい。
毎日、毎日、垂れ続ける鼻水を我慢する。連日、帰宅する頃には袖が白く汚れてしまっていたが、見た目なんて気にしていられなかった。
花粉の猛威から解放された時には、心から毎日の学校生活が楽しくなったような気がした。鼻が楽なだけで、こんなに生きやすいなんて。

次の年にも同様の症状に悩まされることになって、ようやく花粉症であるという明確な自覚に至った。
しかしながら、なぜか医者には行かなかった。
つらいとはいえ、ティッシュさえあれば……なんとかならないことはなかったけれど、今から思えば、やはり薬の処方を受けるべきだったのだ。
手持ちのティッシュを使い尽くして、しばしば再び袖に頼ることになっていたし、家でも学校でも鼻の周辺を虐めすぎて、不自然に鼻の下が赤くなっていたのを覚えている。
今はマスクが標準装備の世の中だから、外見を気にする必要がないという意味でも、花粉対策という意味でも、あの頃より過ごしやすい環境になっている。しかし、当時はマスクをして登校なんて考えられなかった。
そういうわけで、小学校低学年から高校終盤までの十年と少しの間、二月から四月の花粉が飛ぶ期間は憂鬱になりがちだった。

小学校高学年だったか中学に入ってからだったか、細かく覚えてはいないけれど、もう耐えられないと思って病院で検査してもらったことがある。
結果はスギ花粉が陽性。まぁ当然の話で、まったく意外性はなかった。他のアレルギーとか具体的なレベルについては、もはや記憶から欠落している。覚えていないということは、きっと特筆するようなものではなかったということだ。
しかし薬を飲むのも面倒な話で、さらに不運にもハッキリと効いている自覚が得られなかったものだから、翌年からは例年通り対策なしで花粉に挑んでいた。
私らしいと言えば、私らしいかもしれない。

 

本当に不思議なのだけれど、今の私は大して花粉に苦しんでいない。
今年や昨年は外に出る頻度が少ないというのもあるが、それ以前から……確か高校卒業前後あたりから症状が非常に軽くなったのだ。
以前はスギ花粉のシーズンに突入するやいなや、鼻水ドバドバで常に目の痒みがあり、くしゃみも止まらなかったというのに、身体が別物になったかのように、それらが緩和した。
外を歩いている時には多少の鼻水が出てくるけれど、室内に入って鼻をかめば、たいてい落ち着く。目はときおり痒くなるものの、昔ほど強烈ではないから無視できるレベルであり、くしゃみも同様だ。
まるでアレルギーのランクが一気に引き下げられたかのような反応の変化に、すっかり気分は「治った」と思ってしまいそうになるほどで、過去の私が感じていた季節に対するネガティブな感情は、とっくに消え失せている。

腸内環境が変わることで、体質に変化が起こるという説もある。
肉体の成長があり、おそらく食生活にも違いがあり、厳密に幼い頃と現在の自分とを比べることなんて無理なわけだけれど、人間というのは心だけでなく身体の性質においても一定の存在ではないのだと感じた。

今日は所用があり少しだけ外を歩いてきたのだけれど、とにかく風が強かった。
マスク越しとはいえ、それなりに吸い込んだだろうし、眼や頭髪内部など外気に触れている部分は花粉まみれだったかもしれない。
それでも、帰宅後は花粉症の症状が出ることはなかった。眼精疲労的な感覚はあるものの、鼻水は一切なし。
あの頃の苦しみはなんだったのかと思いはするが、あれがあったからこそ今の楽な体質を手に入れることができたような気もする。
結局は運なのだろうが、これからの人生で妙なアレルギー反応が発生しないことを願っている。