K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

反応に対する反応

昨晩、あのようにネガティブな日記を書いてしまったせいか、たった一日で返事を貰ったことで少しばかり動揺してしまった。
本来なら、一日でリアクションが見られるのは当たり前のことであるはずなのに。当然のように、三日ほど待たされることを基準に物事を考えていたなんて。
つくづく、振り回されてばかりだ。

 

わざわざ一日分の記事として綴るほど内容のある出来事ではないのだが、返事がなければこれで最後……と書いたからには、返事があったなら書かねばなるまい、という流れになるのも自然なことだろう。
とはいえ、特に進展があったわけではない。結論から言うと、概ね私が想定していた通りだった。
詳しい内部事情なんて知らないけれど、私が関わることになるはずだったプロジェクトに着手する以前に、会社としての根本的な体制の整備であったり、他のプロジェクトをどんなバランスで進めていくかの検討などを含め、消化しなければならないタスクが山積みとなっており動くに動けない……そんな雰囲気であることが察せられた。
一応、年内を目処に諸々の仕事を落ち着かせていくつもりらしく、来年になったら再び会って話し合う機会を作りたいと思っているようだが、これまで散々に先延ばしにされてきた経緯から、私は散らばった事態が一定ラインまで収束するためには、早くても年度末くらいまでは要すると考えている。
つまり、こちらから連絡を促す以外で、私のほうに意識を向けてくれると考えられるのは来年の春以降、ひょっとすると夏から秋、あるいは冬かもしれないということだ。
もはや、明日や明後日に何かが起こるというレベルではない。いったん、忘却してしまうほうがいいくらい、当分は私の出番がないのではないか……これはあくまで、私の想定ではあるけれど、結局は昨日の時点で書いていた悪いパターンと大差ない意識の方向性が求められる気がしてならない。

ただ、このように半ば絶望的な状況に陥ってもなお、頓挫を示唆する発言がなかったことは不幸中の幸いだと感じた。
そちらのほうが、絶対に楽なはずなのに。私に持ちかけてきた夢のある話は、現実的に難しいと断じて棄却することだって、あの人の立場からすれば十分に可能なのだ。見通しは一向に立たないけれど、まだ実現可能性自体は残しておきたい。そんな意志が短い文章の中から見て取れた。
あるいは、気を遣われているだけかもしれない。声をかけ、迷惑をかけた手前、いまさら中止するなんて言えない。適当な言い訳で、いつ来るかわからない余裕が生まれる時まで放置しておけば、約束を違えることにはならないだろうから。
なんて、真実がどうであれ私には知る術がないのだから、ここは最も私の心が傷つかないような解釈にしておくべきだろう。

 

それにしても、しばらく件の話をなかったことにするとなると、私の今後の生活に対する展望に若干の修正が求めらることになる。
もともとの形に戻る、と表現するのが本来は正しいのだが、この一年半で随分と私を取り巻く状況や心身の状態に変化があった。
ポジティブかネガティブかで言うと、まさにネガティブそのものであり、予定とか計画とか頭に思い浮かべていた道筋を辿ることが困難になっているあたり、現実を上手く生きていくのは難しいと思わされる。
冷静に考えると、あまり他人のことをとやかく言えない立場にあるわけだが、過ぎたことだから仕方ない。

明日から急激に物事へのモチベーションが変わるわけではないけれど、流石に動き出す準備を始めていかないと本当に死んでしまうから、せいぜい頑張ろう。