K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

客観視

人間というのは実に都合のいい生き物で、認識はまさに己が認識したいように形を変えていく。
特に否定される明確な事実が目の前に突き付けられない限りは、自らが信じたいように、考えたいように物事を捉えていくし、それが繰り返されることで次第に現実とはズレた認識に至ることが珍しくない。
これを避けるには、定期的な修正作業が要求されるのだが……逆に言えば、それほど距離の近くない事象に対しては、認識の正常化が非常に困難なのだ。

 

心理学的には「確証バイアス」と言うようだが、これは認識の修正に失敗して思い込みの要素が強まることで、物事を客観視できなくなっている状態を指す。
しかしながら、生きていく上で直面するあらゆる出来事、事象に対して事細かに向き合い、脳に入ってきた情報の精査を行うことは、おそらく物理的に不可能だ。毎日のように接する事柄なら誤差が少なく自然と認識は正されていくし、もしくは興味を持って積極的に取り組む気概があれば真実に近い理解が可能だとは思うけれど、ほとんどの出来事に対して人は無意識の領域を使う。
脳のキャパシティを節約し、なるべく余計な疲れを生じさせないように生きていくために、これは必要な機能であると思う。
そういうわけなので、勘違いや都合のいい解釈といった認識のバグは、多かれ少なかれ誰にでも経験があるだろうし、ちょっと視点を変えてみれば現在進行系であらゆる場合にも発生していることに気づくだろう。

いったん、とある件についてポジティブすぎる視座を捨てることにした。
昨年の一月から、しばしば日記にも書いてきている例のアレだ。状況に変化がないまま随分と長い時間が経過してしまって、流石に待ちくたびれた私は先日、近いうちに連絡を試みようと書いたわけだけれど……昨日の今日で慌てる必要はないかもしれないが、返事がない。
昨年は何度か会って、期待の持てる話を聞かされた。展望にわくわくした私は、能力的に提供できるものがあれば全面的に協力しようという姿勢を見せたのだ。会話で読み取れる雰囲気から、あの人が本気であることは理解できたし、だからこそ開始可能な時期が未定であっても、当分は待てるという意思を伝えることができた。
いくら忙しくても、予定外の展開に巻き込まれていたとしても、いずれは私のほうを向いてくれる。それだけの猶予とリソースを確保方法してくれる。どこかで、そんな妄想をぼんやりと膨らませていたのかもしれない。
これまでの流れを冷静に考えてみると、もはや現実的な話ではなくなっていたとしても、まったく不思議ではないのに。

LINEというツールを、あの人がどれだけの頻度で起動しているのかは知らない。私は常日頃から連絡を取り合っている相手なんていないから、平均すると月に一度くらいしか通知が届かないけれど、普通の人はほとんど毎日のように誰かと意思疎通を図るものではないのだろうか。
あるいは時代が変わって、今はLINEなんて古いのかもしれないが……とにかく、こちらが送ったメッセージに気づかない確率というのがどれほどのものなのか、私には想像もつかないのが困ったところではある。
前回も、そして前々回もそうだった。最初に送ったタイミングでは一切の反応がないのだ。二、三日してから、返事を促すメッセージを送ると、ようやく既読が付く。未読無視されているのか、連絡を取り合っている相手が多すぎて大量の通知に埋もれてしまっているのか、知る由もない。
ただひとつ言えるのは、私の立場上、無反応を貫かれるとメンタルへのダメージが大きいということだ。

それにしても、嫌なことに気づいてしまった。
前回のやり取りがちょうど三か月ほど前だったのだけれど、その時に送られてきた「もう少し待っていてくれ」という趣旨のメッセージに対して、私はスタンプで返事をした。
よくある既読代わりの反応で、スタンプ自体に特別な意図はない。私は、このスタンプに既読が付くことで、いったん会話が終了したと判断することが多い……のだが、前回あまりにも期待外れな返事をもらったせいか、その確認さえしなかったのだった。
果たして、久々に開いたトーク画面でスタンプを見てみると、なんと未読状態のままだった。
要するに、この三か月の間、私が送信したスタンプの通知は放置されていたことになる。そこに今回、連絡を求めるメッセージを送り、そしていまだに既読が付かない現実がある。

冷静に考えるのだ。
もう、ほとんど希望は残されていないのではないか。まさか、鬱陶しいと判断されてブロックされていることはないとは思うが、LINEを見ている余裕がないのか、既読を付けたら反応しなければならず面倒だから後回しにして忘れられているのか、いずれにせよ私との連絡を避けているような空気が察知できるような気がする。
そもそも真っ当な感覚を持つ人間なら、このように非常識な対応を続けられていたらひどく呆れるだろうし、とっくに縁を切っていてもおかしくないのだ。
私も、いい加減に諦めたほうがいいのかもしれない。

 

一応、これまでのパターンを踏襲して、明日か明後日にでももう一度、メッセージの送信を試みるつもりだが、これで未読のまま放置されるようであれば、本格的に忘れるようにしたほうが精神衛生上、好ましいだろう。
期待が少しでも残っていると、他の出来事に向き合うためのエネルギーが削がれるような気がして、心が健康的でいられなくなる。

もし、何かしらの反応があった場合……十中八九、ばたばたしていて大変だから、また待ってくれという内容になるだろうが、これ以上は指針なく待ち続けることができないという主張をしていくつもりだ。
大雑把でもいいから、ただ時間稼ぎをするだけではなく、今後について形のある表現を届けてもらいたいと思っている。

ちなみに、何もなければ本件について言及するのはこれが最後になるだろう。
もし進展があれば、またどこかのタイミングで気が向いた時に書くかもしれない。