K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

自分でやれ定期

日記って書き始めると止まらないものでね、10分くらいでサッと書いてしまおうかと思うのに、30分も1時間もダラダラ考えて2000字超えが当たり前のようになってしまった。
たまに更新ならいいのだけれど、毎日書いているから時間との戦いになってくる。もっと短く書けるネタとかないかしら。

 


私って、なんでも抱え込んでしまうタイプらしい。誰かに何かを頼んだり相談したりすることが、ほとんどない。意図しているというよりは、そもそも発想がないのだ。自力でできないのなら、それで終わり。
実際これまで生きてきて、このスタンスで困ることがあまりなかったから、変わることができないのだと思う。手先は器用なほうだし、要領も悪いほうではない。自分で言うなって話だけれど、事実なんだもの。
それに、私には合っていないとか、難しくてやってられないとか、そういう感想を抱いてしまう事柄って好きになれないし本気で取り組めないから、完遂しようという気概が生まれない。投げてしまう。
楽しくないことで四苦八苦するくらいなら、やらないほうがマシ。その時間を興味のあることに使いたい。そんな感じで、助けを求めなければならない場面なんて、ほとんど無意識のうちに避けてきた。

ちょっとわからない、くらいのことだったら、インターネットで調べれば答えが出てくる時代だ。だから、なんでもかんでも他人に尋ねようとする行動原理が不思議で不思議で。そういう人、世の中に一杯いるけれど。
あと、基本的に誰かの手を借りようとは思わないせいか、簡単に済む雑用を他人に押しつける考えも、ちょっとよくわからないかなぁなんて。例外として、基本的なことを教育する意味で初歩的な作業を任せるというのなら、もちろん理解できるけれど。

 

さて、ここまで書いた内容は、私の強みであると同時に大きな欠点だ。
他人を頼らないということは、それだけ他人との接点、コミュニケーションを作らないということになる。人生は長く、そして一人では生きていくことができない。人と人との繋がりは、生涯の財産だ。
だいたい、お前は今だって自力で生きていると言えるのか。気づいていないだけで、たくさんの人の手を借りているんじゃないのか。
そんなことも認識できないまま、貴重な財産を築けるかもしれない機会をことごとく避ける生き方が、私には染みついてしまっている。これは長い目で見たとき、大きな損失となっている可能性が高い。

だからといって、くだらない質問をしようという話ではない。重要なのは、場合によっては誰かを頼り、関わりを持つこと、孤立しないことを頭の片隅で常に考慮するということ。あるいは、時には手を差しのべてあげることだ。
人間は弱い生き物だということを理解して、助け合うということを覚えていかなければ、いつか足を掬われる日がくる。そんな予感があるのだ。

誰かが困っているのを見ても、自分でやれと思って目を逸らす。頼られたら対応はするが、内心この程度のことで、と見下す傲慢さ。もし私が親切に見えることがあったとしたら、それはただ自己満足のためにやっているに過ぎない。たぶん、相手のためではなかったんだ。
そんな人間の、いったい何が信用できるだろう。私は私のことが大好きだけれど、仮にもう一人同じ人間が目の前に現れたら、きっと殺したくなるに違いない。

人間関係の構築に向いているステージはとっくに通過してしまったので、いまさら感は否めないが、常に傲らず、このことは肝に命じておかなければならない。
今後、何かを改善し実践していくのかは、定かではない。ただ、こうやって自己を省みたという事実は大切だ。
本記事は、そのための備忘として。