K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

人の幸せ

物心がついてから、他人の結婚式や披露宴に招待されたことが二回あった。
こういうのは基本的に同年代の知人なので、まだ学生だった時分には当然そんなことはなく、ようやく周りでぼちぼち既婚者が出始めたという感じだ。
私には一生、縁がないだろうなぁとは常々思っているけれど、実際に会場で観察をしていると、ますますその考えが確信に近づく。


人並みの出会いに恵まれて、人並みに恋をして、順風満帆な社会人生活を歩み始めて、そして身を固める。
少なくとも世の中の過半数の人間が経験している一大決心……もっとも、全員が気軽に選び取っている道というわけではなく、それぞれに苦労や葛藤はあるに違いないのだけれど、現実的な話であり珍しいことではないのは確かだ。

お祝いの場では称賛の言葉しか投げかけられないから、いかにもよく出来た人間という印象を受ける。会社の上司であったり、様々な友人であったり。
きっと、これまで普通に人生を進めてきた人にとっては数十人の友人というのは当たり前の存在であるし、それだけの人に祝ってもらうことが人生の欠かせないイベントなのかもしれない。恋人はおろか、異性との交流の記憶がほとんどないだけでなく、友人だと認識している人の数が指で数えられる程度の私にとっては、結婚に至るまでのありがちなエピソードというのは空想上の物語となんら変わらないというのに。

社交性だ。
何事も単純化しすぎてしまうのは本質を見失う原因となるけれど、仮に結婚という目標があったとして、そのために最も近道となる要素を挙げるとすれば、人と積極的に関わり素敵な関係を築くことのできる能力に他ならないだろう。
いくら自分のことが大好きな私といえど、客観的に評価しようとすればお世辞にも社交性があるとは言いがたい。陰キャとか根暗とか、そういう表現のほうが明らかに近い。
まぁだから結婚を諦めているとかそういう話ではなく、私の場合は一人でいる時間に最大の価値を見出しているから、もとより結婚願望など皆無に等しいのだけれど、それでも他人の幸せに包まれているような姿を目の当たりにすると、ちょっと普段とは異なる不思議な感覚に陥ることも否定できない。

おそらく、女性が生涯において最も美しく輝く瞬間なのではないか。そんな風に思える存在が、そこにあった。
豪勢なドレスを纏って、際限なく笑顔を振りまく花嫁の姿は、過去に見たどのタイミングよりも魅力的だった。あの日のあの時間だけ、彼女を中心に特別な世界が創造されていたことは疑いの余地がない。
将来の夢が「結婚」や「花嫁」という少女がいるかもしれないが、その気持ちはよくわかる。純粋な目であれを見てしまったら、憧れないわけがない。


新郎、新婦ともに、学生時代から現在に至るまでのエピソードが紹介されていた。出会いについてはもちろんのこと、それぞれの会社での活躍ぶりについても語られる。
それらが素晴らしいことだというのは理解している。多少の脚色はあるかもしれないけれど、本質的な部分に嘘はないだろう。
誰もが納得の目で言祝いでいるのを見ていたら、私も笑顔を浮かべなければという想いに至った。

私には、そんな過去の出来事がない。大衆の前で堂々と語れる具体的なエピソードなんて存在しないし、つい先日のことだが社会的地位も投げ捨てたばかりだ。
これまでに知り合ってきた知人はほとんどが同性で、異性との付き合いと言えば大学時代のゼミ仲間くらいのもの。
新しい出会いの機会は一切なく、インターネットでもコミュ障のため今から他人と関わりを持つことの難易度の高さは本当に果てしない。
ちなみに、マッチングアプリを使った出会いなんてものには、最も適性のない人間であると言っても過言ではない。どうあがいても、あれは無理だ。
だって、そもそも人付き合いというか、恋愛というものに対してやる気がないのだから。関心がないのだから。

わかりやすい青春というものを、まるで経験できなかったからだろうか。異性を求める欲が己の内側に感じられないし、この先も期待できるとは思えない。
二次元コンテンツに対しては熱を上げることができるし、欲望が渦巻くこともないわけではない。私にとっては、幸せに感じられるものが一般的な概念とはズレているのかもしれない。あるいは極端に少ないか、狭いか。

いずれにせよ、人肌の温もりなんてものを味わうことがあるなんて、今の私には考えられないことだ。
そして、そういう現実を特に残念にも思っていないという点が、事態をさらに深刻にしている。世間一般の価値観からすれば悲惨極まる私の状況は、私にとってどうでもよいのだから。
たまに王道の人生を歩むことについて妄想はするけれど、やっぱり私には合わないと思考を中断してしまう。


少し寂しさを感じることがある。
これは、同じく恋愛なんてものとは縁遠いと感じていた、大学時代のオタク仲間の話なのだけれど、年に何度か会う機会があるのだ。
久しぶりに会って、最近は何をしているとか何がやりたいとか、他愛ない会話をして終わるのがお決まりのパターンで、全体的に見れば楽しい時間だと思っている。
けれど、会話の流れの中で私が一切の発言力を失ってしまう瞬間がある。付き合っている相手はいるか、結婚は、などという恋愛絡みの話題になると、私が口を噤むのとは対照的に、他のメンバーは途端に饒舌になる。テーマがアニメとなると、最近は見ていないだの新しいコンテンツについていくのは大変だのと、懐古厨めいた雰囲気を作り出すのが得意なくせに、浮わついた話にはやけに乗り気なので私は驚いてしまう。
みんな、なんだかんだ言って青春の味を知っているし、恋愛の甘さや苦さに覚えがあるし、これまで恵まれていなかったとしても心の底では求めているのだ。愛を。熱を。

構わない。それで幸せを感じることができるのなら、私が文句を言う筋合いはない。ここは日本で、我々は日本人なのだから、きっと少数派の私が場の空気に合わせるべきなのだろう。くだらないと思っているけれど否定する材料を持たない私は、ひたすら聞き流すことに徹するのみだ。
ただ、やはり同類であったはずの人間たちの価値観との違いを感じることは、気持ちのいいものではない。

先日、ある人に結婚する予定はないのかと聞かれた。でも恋人はいるんだろう、と当たり前のように尋ねられた。
当然、そんなものはないし考えたこともない。
私は精神が未熟なのだろうか。一生ガキのままなのだろうか。
なんでもいい。私は私の生きたいように生きるだけだ。