K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

えらい

ちょっと期待以上の成果を出したり、期待されていないことをやってみせたりしたときに、「えらい」と言われることがある。
純粋に褒めているだけで、それ以外に意図なんかないのかもしれない。
それでも私は、そう言われることが気に入らなかった。

 

 

「偉い人」という言葉からは、社会的な立場が高い人、あるいは優れた功績を残した人がイメージできる。
ここで言う「えらい」は、そうではなくて、もっと狭い範囲で相手を評価する際の表現だ。

私は、これを聞いたときにどうしても思ってしまうのだ。
なんだよ、えらいって。何も知らないくせに。えらそうだな、お前。


「えらい」と相手を評価するのは、上から目線に感じてならない。
ある言葉に対して個々が持っている感覚というのは、きっと微細なレベルにおいて、差異が存在している。辞書的な意味とは離れたところにある、言語センスの頂とでも言おうか。日常的に外部に露出する部分ではないけれど、最も鋭敏に文章や会話から違和感を察知する器官。

稀に生じる、コミュニケーションにおける誤解なんかは、互いの感覚が不和を起こしていることが原因なのではないかと私は思う。
慣れてくれば次第に調和していくけれど、それでも単語単位の根本的な意味の捉え方が変わることはないから、状況によって文脈や雰囲気から判断して、自ら理解を補正する必要がある。


「えらい」と発言した当人の考えとしては、俺にはできないことをやってのけるお前は、なんてすごいんだ。おおむね、そういうニュアンスだろう。
悪意はないし、たぶん善意のほうが近い。けれど私は、同じ立場から発せられているにもかかわらず、言葉が上から飛んできているようなズレを感じてしまう。それが気持ち悪くて、不愉快なんだ。

もちろん、それを顔に出すことはないし、言い直しを求めることもない。ただ心の中で思うだけ。絶対に伝わらないし、伝えられないのが、とてももどかしい。


例外もある。
ママやお姉さん(という、ある意味で空想上の存在)に、「えらいぞ~」とヨシヨシしてもらうのは、とてもよい。
己のすべてをさらけ出せる相手から言われる「えらい」は至上の喜びだ。温かくて、胸が幸せで一杯になる。

人はきっと、母性の前には逆らえないのだ。

 

 

本日の絵

20200617

着衣40%くらいが最もえっちという研究結果があるとかないとか。
ソースはない。