K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

やはり一般人ではないのかもしれない

あまりVの者は肌に合わなくて見ないのだけれど、赤月ゆにというキャラクターは面白いと思った。
毎朝、今日は○○の日、というテイでその日にまつわる事柄の解説動画をTwitterに上げてくれるので、ついつい見てしまう。2分くらいでとても見やすい。
ちょっと低めの落ち着いた感じの声がまた耳に心地よいもので、これもまた日々の「生きがい」になったかもしれない。

 

 

先日、赤月氏がこんな動画を上げた。

www.youtube.com

まあね、確かに言葉の端々から漂うおっさん臭は隠しようがないものだ。そこは正直どうでもいい。アニメを見ているとき、脚本家の顔を思い浮かべないのと同じだ。キャラクターというか設定というか、そういう部分にこそ私は価値を見出している。
珍しく好きになれたのは、そこが流行りのVとは違うからかもしれない。

動画を見ていて、ハッとさせられたのは、この部分。

インターネットのことをインターネットって呼ぶ人は、もう古いっていうか、おじさんらしいよ。現実を、現実って呼んじゃうのと一緒なんだよ。
普通の人はさ、インターネット空間のことをSNSって呼ぶし、現実とネットを区別なんてしてないんだよ。

マジか……マジなのか。言われてみれば、そうなのかもしれない。
普通の人、というかいわゆる陽キャたちかな。彼らは現実とインターネットが、ひとつながりになった世界で生きている。なるほど、あまり考えたことがない視点だった。
だって、インターネットはインターネットじゃないか。インターネットは現実とは隔絶された空間であり、かつて2chとかニコニコ動画みたいな場所が活発だったのも、それがインターネット上の存在だからこそなんじゃないのか。私は、そう思っていた。
しかし、もしかするとこの考えは、ひどくマイナーというか、局所的なものなのかもしれない。あるいは、インターネット老人的思考。

彼らにとってのSNSとは、現実世界の延長線上にある、他者との交流の場、といった具合だろう。道理で意思疎通が難しいはずだ。前提が違うのだから、話が合うはずがない。
SNSなんて、広大なインターネットの、ごく一部の領域でしかないのに、彼らにとっては全部ひっくるめてSNS。言葉の定義なんてどうでもいい。「感覚」だ。

 

動画の後半は、普通の人は好きなものから相手の年齢を推測しない、という話だったけれど、これも、えっそうなの? という感じだ。
あれにハマっていたということはつまり、とか。これが発売されたときに小学生ということはつまり、みたいな。いや、考えるでしょう? 普通は考えないの?
これを突き詰めていくとストーカーみたいになって気持ち悪いというのは、よくわかる。わかるが……しかし、考えるだけならタダじゃないか。勝手に相手のステータスを想像してニヤニヤするのって、結構楽しいんだぞ。

なんだか話が逸れてきたので、これくらいにしておくが、こういうのを言語化して、動画にしてしまえる時点で、おっさん呼ばわりされるのは仕方ないというか、むしろノリノリにすら見える。
赤月ゆにの視聴者には、少なからず「一般人」になれなかった人間(そしておそらく、おっさん)がいるはずで、需要をわかっているというか、しっかりそういう感覚を備えているのだなと思うわけだ。

おっさんは最高だ。
世の中にたくさんある素晴らしいものは、だいたい、おっさんが作っているのだから。

 

 

本日の絵

20200614

腋ガール定期。
なぜか土日は画力が低下気味なので、時間がかかって仕方ない(´-ω-`)