K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

タイミングが悪かった

絵を描く方針を変えようとしたタイミングで、絵の不調期がやってきた。
毎日、描いてはいるのだけれど、なかなか思うように線が引けないアレな日々。予定では線画を終えて色を塗って、そろそろ完成という頃合いのはずだったのに、昨日の時点で線画が出来てすらいなかった。
なんとか今日は進捗が出そうな雰囲気があるので、後で絵を上げたらそのまま次の作業に入ることにする。

 

 

月に一度くらいの間隔で、数日から一週間ほどうまく描けない期間が続く。しばらく我慢すれば戻るはず……と思っているけれど、ブログを始めるきっかけにもなった数か月の不調に再び陥る可能性が皆無ではないから、こうして毎日の習慣にしたのは正解だったと言える。
まだ完全に調子が戻ったわけではないものの、自分でも驚くほど下手に見える絵しか描けない状況からは脱したようで、時間をかけながらであれば、そこそこ妥当だと思えるものが描けるようになったような気がしないでもない。

不調のときに何が起こるかというと、大きく分けて二つ。
まず顔、特に目が非常に不安定になる。位置や大きさ、眼球の向きなど、絵の印象に対して繊細に影響する諸要素のクオリティが一気に低下するために、どんな角度で描いてみても「なんか変」という感覚が拭えなくなる。
次に、身体のバランスがおかしくなる。特に首から肩にかけての位置関係がうまく取れなくなって、要するに人間が描けなくなってしまう。非常に悩ましい。

対処方法としては、これも二つ。
とにかく描きまくること。指が忘れている感覚を、繰り返すことによって思い出させるイメージで、それに数時間耐えることができれば意外とうまくいく。
あるいは模写に専念すること。正しい絵、線の引き方を倣うことで、ズレている感覚を矯正する手段であるから、かなり有効。ただし、一時的な復活にとどまったり、模写でしか描けなくなることもあるため、自分なりのアウトプットをする練習も必要となる。

どちらにせよ時間と気力をかなり消費するため、仕事が終わってからしか描く機会がない日が続くと、調子が戻るまでに時間がかかって精神衛生上よろしくない。
じわりじわりと滲み出てくる不安は徐々に心を蝕んでいき、より強力な負の感覚を自己内部に引き起こす可能性がある。そうなると、絵を描かなければならない呪いに抗って、いったん絵から距離を置くくらいしか救われる手段がなくなるため、結局精神は病んでいき、後悔ばかりが押し寄せる悲劇を迎えることになる。

 

ある程度の束縛や制限は、場合によっては有益なことがあるけれど、時にはそれら解放させて、思いっきり時間を自由に使える機会を得ることが肝要だ。溜め込んだ分を吐き出さなければ、なんのために耐えているんだという話になる。
その先に待っている苦難なんて今は考慮する必要はないし、念のための備えも用意してあるうえに、むしろ望んでやることなのだから歓迎さえする。

あと少しの辛抱なので、頑張るしかない、と自らに言い聞かせること数か月、ようやく光明が見えてきたように思うので、本当にあとちょっとだけ、頑張ってみようと思う。

 

 

Drawing on 2020-07-07

20200707

線画に時間がかかりすぎて疲労感がものすごいのだけれど、やっぱり色を塗るとなると気合いが入って完成が遅れてしまう。一日で一枚を仕上げるのって案外、スピード感という意味では理にかなっているのかもしれない。

日付を書いて、そういえば今日は七夕じゃあないですか、と気づく。生憎の雨だが。
カレンダーに合った絵を描いてみるのが憧れの一つなんだけれど、だいたい当日になってから気づくので、いつも間に合わないマン。
絵に集中できる環境が整ったときにはすぐ対応できるように、今でも余裕があるときには意識しようと思ってはいる。