K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

呪い

やらなければ気持ちが悪い。胸の辺りがムカついて仕方ない。
こういう感覚を明確なものとして考えるようになったのは、ここ数年のことだった。
日々の習慣。身体に馴染んでいて、ほとんど無意識のうちに行動に移す。睡眠や食事だけでなく、風呂に入ったり歯を磨いたりするのは、現代人の生活における基本的な行動だ。
猛烈に疲弊していたり酔い潰れていたりするのでなければ自然に行うし、やらなければ違和感が残る。
これは、それが趣味の領域で発現した話。

 

 

小学生の頃、私は絵がとても下手だった。過去の記憶は曖昧だし、今となっては比較対象もないから、ただの印象でしかないのだけれど、苦手意識があったのは事実だ。
模写をしようにも紙の上にイメージを落とし込めないし、思うように線が引けず輪郭は歪みまくる。
図工の時間に描かされた絵は、人が描けなかったから抽象的な模様そのもので、いい加減に混ぜ合わせた水彩絵の具をぺたぺたと塗って完成。それで満足だった。

苦手意識はその後も数年の間は続いていたけれど、私が入学した中学校は学力よりも、どちらかと言えば芸術的センスの育成に注力する傾向があった。美術の授業では、それまでとは対照的に、じっくりと時間をかけて絵に向き合う機会が与えられた。
今にして思えば、あれは貴重で幸せな時間だった。あれほど、余計なことを考えず絵に向き合えることなんて、人生においてほとんど唯一と言っていいくらいだ。
美術部に入ったり美大に進んだりすれば話は変わるだろうが、そうではない普通の人間にとっては、実際に感じていた以上に価値があった。
そういう環境の影響を受けてか知らないけれど、いつの間にか絵に対する苦手意識は消滅していったように思う。


転機は中学二年か三年の頃、私が深夜アニメを見始めるようになってから訪れる。
当時はアニメを見終えると、まとめサイトに直行していた。2chから抜粋された他人の感想を眺めるのも面白かったけれど、一番の目的はアニメのキャプチャを集めることだった。
印象的なシーンを中心に、一話につき数十枚のキャプ画像が手に入る。今ではまとめサイトなんて低俗の極みみたいな存在だけれど、当時は宝箱のように感じていた。

保存したアニメの画像を見ていると、私の中に、ちょっとした欲が出てきた。
なんだか、ちょっと描いてみたいな。

きっかけはただの思いつきで、ゼロに等しい画力を振り絞って描いた絵は模写にすらなっていなくて、今からするとびっくりするようなバランスの崩れようだった。
でも、絵を描くのは楽しい。
そう感じることができた、それは初めての出来事だった。

当時ハマっていたSNSに描いた絵を投稿してみると、意外に反響が大きかった。
心優しいことに、「うまい」とか「すごい」といったコメントがいくつも付いたのだ。
アップロードした絵は、一応はそれなりに時間をかけて、悪くないなと思ったものを選んではいたものの、それでも本物と比べたら大きく劣る。
紙の上に稚拙な線を引いたものを雑に撮っただけの、アナログな写真。それに対して向けられる、肯定的な意見の数々。
私は、誰かに認められるということに慣れていなかった。だからその感覚は奇妙であり、不思議な心地よさがあって、また描こうと思わせてくれるには十分な温かさがあった。
なお、承認欲求の萌芽をここに垣間見ることができるが、承認欲求の話については、いずれ別記事にて。


高校に入ってからも、たまに絵を描いていたけれど、進級するにつれ学業に割く時間が増えていった。アニメは変わらず大量に見ていたけれど、絵を描く機会は徐々に減少していったように思う。
当時はまだ、ただの趣味の一つでしかなかったのだ。たまに描いて反応を貰えれば、それで満足。そこから先のことは、何も考えていない。

画力は大して伸びていなかったし、下手な模写を続けるだけだったせいか、だんだん描くのが面倒になっていった。やれば楽しいけれど、他にも楽しいことはあるし、もういいかな、なんて。
高校卒業時には、ほとんど絵を上げることはなくなっていたし、そもそもSNSからも引退しつつあった。やり取りの多かった人もイン率が低下していき、コメントの数も減る。モチベーションが続くはずがなかった。


わけあって、私は大学浪人することになった。予備校に通い、一年で合格できるまで学力を底上げする。
周囲に友人は皆無で、ひたすら孤独との戦いだった。そんな状況で、私を救い出してくれたものがある。
絵を描くことだった。
予備校の授業は、中途半端な偏差値の高校と比べたら幾分と洗練されているものだったけれど、それでも退屈を感じることがないわけではない。
ふと、ノートの端にラクガキをしてみる。なんだか楽しかった。初めは目。鼻や口もつけて、頭と髪を描いてみる。何も見ずに描くのは難しくて、描いてはバランスを直し、また描く。その繰り返しだ。

一日のうち、授業に集中できなくなるタイミングは何度かやってくる。そんなときは絵を描いていた。
絵を描き始めると、周りのことが気にならなくなる。消え失せていた集中力が復活する。こんなに気持ちいい世界があったのだと、数年前には気づかなかったことを自覚するようになっていた。
勉強に集中するときには、ちゃんと集中し、そうでないときはラクガキに逃げる。結果的に大学には合格できたから、正しかったかどうかはともかく、間違ってはいなかったと思う。


授業中にラクガキで遊んでしまう癖は、しかし大学に入ってからも続いていた。学部レベルの授業なんて、一部の語学や実験科目は例外として、たいていは出席してノートを取っていれば問題なく単位が取得できてしまうものだ。
興味を抱いて履修した授業は普通に面白く学ぶことができる一方で、進級のためには面倒でも取らなければならない科目がある。そんなときにはラクガキの出番だった。
周りから見られないよう、腕と身体で隠しながら、配られたプリントの端々に絵を描いていく。イケナイことをしているような背徳感が好きだったのもあるし、少しずつコツを掴んでバランスが整ってきたのが快感だったのもある。無理にやめる理由はなかった。


大学のサークル活動において、新歓で使うビラのために、サークル員が描いたイラストを使う風潮があった。オタクが多数所属しているサークルだったから、描かれるものは美少女イラストが多くなる。
消極的な性格ゆえに、どうしようか迷いはしたのだけれど、既に上がっているイラストが……こう言ってはなんだが、微妙だったのだ。こうすればいいのに、と思った次の瞬間には手が動いていた。
時間をかけて描いたはずの絵に対して、勝手に手直ししてしまうというのは、後から考えたら失礼なことだったと思う。でも、私は描いた勢いそのままに、それを提供することにした。
案の定、複数のサークル員からお褒めの言葉を預り、そのまま採用されることとなった。
大したクオリティでもないのに、自分の描いた絵が不特定多数の前にさらされるというのは、なんとも言えない感覚があって、気持ちいいやら悪いやら、よくわからない気分になった。

それを機に、目立たない存在だった私に、絵が描けるやつというイメージが付与された。いわゆる、キャラ付けというやつになるのだろう。
画力の話をすると、まだまだ下手な域を出ていなかったし、過剰評価もいいところなのだけれど、あれは私がようやく手に入れた居場所だったのだ。今でも、あのとき絵を描いてよかったと思っている。

ビラをはじめ、サークル活動で表に出した絵は、アナログで描いた絵をスキャンしてペイントツールで少し整えた程度のもので、ちゃんとしたソフトなどは一切使うことがなかった。
だから大学在学中には、私の絵は基本的にラクガキ以上のものになることがなかった。
ただ、そうやって描くことが当たり前になっていくと、次第に私にとっての、日常生活における一般的な行動の中に、「絵を描く」が含まれるようになっていったのだ。

大学卒業後の話は、ここまでの内容と多少の被りがあるが、以前の記事で書いているので省略する。

kk-graffiti.hatenablog.com


前置きが長くなったけれど、ここからが本題だ。
実のところ、私は絵を描かないといけない呪いにかかっている。
上に長々と書いてきたように、絵を描くことは、最初は単なる趣味だったものが、いつしか私の日常に入り込んでいた。それはもう、ちょっとした侵入というレベルを超えて、隙間という隙間を埋め尽くすくらい、徹底的に絡みつく形で。

日常を普通に過ごすためにしている行動とは、すなわち心身を拘束する呪いと換言してもよいと思っている。
たまに絵を描けない日があると、その日から次に描くときまで、私は心が不安定になって、気持ち悪くなって、イライラして、どうしようもないのだ。
これはもはや、絵を描かないと正常に生きていくことができなくなったような、そういう類いの呪いだ。

はたして私は、このままただの会社員として一生を過ごすことができるだろうか。
答えは、否……だと思っている。
特に、仕事のために絵の時間を奪われるのが苦痛で我慢ならない。忙しくなると、呪いで自壊してしまいそうになる。

約一年ほど前に、ひょんなことから、この呪いの強さを確信した。私は、きっと仕事を辞めなければならないのだろう、と。
私が私らしく生きるための第一歩を踏み出すために、私は長い時間をかけて準備を続けている。
今は、ようやく靴を履いたあたりだ。あとは靴紐を結んで、立ち上がり、踏み出すだけ。その先にある景色は、あと少しで見えそうなところまできている。

呪いと付き合って生きていくために、私は新しい世界に飛び出していきたい。

 

 

Drawing on 2020-06-21

20200621

ラフから無駄な線を削っていく描き方だと、線が太くなるけど味が出る気がする。勢いというかメリハリというか、きれいな線画では出せない雰囲気みたいなやつ。