K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

コミケへの想い

今年のGWに予定されていたC98がなくなって、まぁそれは仕方ないという気持ちのほうが強かったのだけれど、C99も年末の開催を見送るということが決定し、溜め息が出た。
来年のGW開催を目指しているみたいだけれど、いったいどうなることやら……本当に開催できるんだろうか、そういう日々が、社会が、再び戻ってくることはあるんだろうか……一参加者としては、そんな漠然とした不安が募るばかりだ。

 

 

私が初めてコミケに参加したのは2015年の夏だった。知人が毎回、協力者を募っていた。5年前、ちょっとしたきっかけで私はコミケに興味を持ち、一人では不安もあったため、せっかくならとグループに入れてもらったのだ。

初めは、どういう空間なのかまったくの想像上の世界で、かなり緊張した。最初に思ったのは、とにかく人。人、人。こんなに大勢が集まる場所なんて、他には知らない。そして凄まじい熱力に圧倒された。好きなもの、目当てのものにかける想い。それらはやがて私の身体を包み込み、急速に取り込んでいった。なんて熱意に溢れた場所なんだろう。
終わってみたら気持ちのよい達成感のようなものが残り、またここに来たいな、と自然に感じたことを覚えている。

それからは、昨年冬のC97まで、暑い時期と寒い時期に有明へ行くのが習慣となっていた。一般参加者として、たった10回の参加歴というのは、長年のベテランからしたら本当にひよっこみたいなものかもしれないけれど、あの「場」に寄せる想いは確かなものが自分の中にある。

コミケでしか会わない人が結構いる。私は日常的に他人との交流が少ないから、一年のうちで出会う人間の半分くらいはコミケ関係の人かもしれない。だから今年は、本当に孤独感が際立つ。
一人で目の前の課題に向き合わなければならない。まぁコミケに限らず、というか特に今年入学した大学生なんかには顕著なことだろうけれど、交流が持てない状態というのは思っている以上につらいものだ。私は慣れっこなので大したことはないが、とはいえ時間が経つにつれ、精神に気づかぬ負荷がかかっているものだ。
どこかで心を解きほぐし、ストレスや鬱憤を解放できればいいのだけれど、このご時世では難しく、結局ひたすらに、自分にできることをやるしかない。

コミケというのは非常に疲れる催しで、体力的に全日参加は厳しいものがあるのだれど、私は最終日だけは必ず参加するようにしていた。
最終日に潜む魔物。ギラギラと目を光らせ戦利品を追い求める人の波。あれを乗り越えた後、知人らと打ち上げを行い、微睡みの中に帰宅する。それはまさに、生きがいの一つと言ってもいいかもしれない。
定期的に追い求めたくなる感覚だから、今年はそれを体験できないのがとても残念だ。


ちゃんと絵を描こうと考えるようになってから、いつかコミケにサークル参加してみたいと思うようになっていた。
一般参加の雰囲気はだいたいわかった。今度は、サークルで出てみたらどうなるのか。やってみたい。好奇心が大部分だけれど、せっかく自分で創り上げたものを発表する舞台があるのだから、飛び込まないのはもったいないと思ったのだ。頑張って描こうと思うし、モチベーションにもなる。

本来なら、今年の冬を目標にしているはずだった。オリンピックが終わって、完全な形でコミケが戻ってくるC99、きっと規模は過去最大で、初めての応募だけれど当選する確率が上がるかもしれない。ぼんやりと、そんな風に考えてもいた。
現実は最悪で、C98の中止、オリンピックの延期、C99の延期(未定)ときている。私自身の環境も、想定していたよりも動き出すのが遅くなってしまい、事実上、今年の冬には間に合いそうになかった。

これはもう、猶予を与えられたと開き直るしかないのではないか。次に開かれるまで、たっぷりと時間がある。その間に環境を整え、技術を磨いて、万全の体制で挑めるように。私は頑張るから、どうか世の中の流れも好転しますように。大雨の中で過ぎ去った七夕に向けて、ささやかに祈りたい。
願わくば、東ホール、西ホール、南ホールを使った完全体のコミケで、サークル参加してみたいなぁ。